【iTVエッセイ 最終篇】UTDSにさよならを



《前回の ディベートボーイiTV!! 3つの出来事》
(1) 香港、ヤベェ!
(2) 俺ら、カワイイ!
(3)ババ & キヨ、カワイイ!


 どんな作品にも終わりがある。そうだろう?

 引き継ぐ前の最後の回には最終回を執筆する、これがUTDSブログの毎年の流儀らしい。それならば僕も、最後にエッセイを。全てのお世話になった方々、先輩、同輩、後輩、顧問、練習用の教室等を貸し出してくださった大学諸組織の皆様、対戦してくださった方々、ジャッジしてくださった方々、大会を運営してくださった方々、大会の会場で雑談を交わし合った皆様、当ブログ読者の諸君、読者ではないけれどツイートに反応してくれた諸君、その他の諸氏、僕が運営に携わった大会の参加者の皆様、共に大会運営に携わった仲間達、そしてかつて大会に共に出場した人達、パートナー達、別の世界線ではパートナーになり得た人達、全ての可能的な関係者の皆様に、格別なる親愛の情を込めて。




iTV所有の Mac君。
ジャッジ集めも、ブログ執筆も、
点数表の入力も動画制作も
すべて共に歩んだ。
わたしの、最高の友達。


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1.
「俺、この大会、ディベーターで出ればよかったな」
 僕はその時大会の運営委員をやっていて、彼はジャッジとして会場に来ていた。Tokyo大学からの参加者の連中の占領していたあたりの席から、彼は僕を見てそう言った。二日目の午後、秋の日差しの射す、準々決勝結果待ちの気怠い大教室。
「出ておけばよかったよ」
 それは購買部にて、売り切れたカツサンドの棚を前にして発するような響きだった。音が僕の耳に届く頃には彼の目は別の棚に移っていて、頭からカツサンドの像など既に消えている。心の上澄み液だけ掬ったような声だ。出たいとは言うけれど、果たして大会参加費も払いそうにない。だから僕も、イニング間の遊撃手が一塁手とキャッチボールするときのごとき省電力で返答しておいた。
「そんなに出たかったなら、あの時に出るって言っとけよ」
「いや、うん。出たかった」
 出たかった、らしい。
「そうか。出たかった、ね。どうしてもって言うなら、せめてジャッジは自分で探せよ。俺が探すのは御免だね」
「それは大丈夫だろ、お前の免除権あるんだから」

 大会が終わって、撤収作業をして、そうして駅に着く。一人でエスカレーターに乗った瞬間、突然この言葉が耳に響く。「お前の免除権あるんだから。」目の前が真っ白になる。反射的に拳を握っている。固く。その時は笑って気にも留めなかった言葉が、銃弾となって僕を抉る。「お前の免除権あるだろ?」──お前が今回、運営を務めたことで稼いだ分のジャッジ帯同免除権、それを俺が使えばいい話だろ?
 でも僕は、拳を解く。エスカレーターが途切れて、僕はホームにいる。


2.
 向けられる刃がただただ理解できなくて、僕はひたすらに震えていた。


3.
「ここまできたらアレよ」
 夏の夜の闇を切り裂いて、メッセージが届く。あの人が送ってくれたのだ。
「生きるも死ぬもアレよ」

 そうして僕は、いくつかの大会の運営委員の任を引き受けた。他の全ての選択と同じ、痛いほどにまっすぐな不合理さの果ての決断。最高じゃないか。


4.
 僕は打ち上げが苦手だ、と言った。彼女は黙って聞いていてくれた。既読の二字が静かに灯る、午前二時の液晶画面。頭は枕に沈み込む。冬が来ようとしている。
 僕は打ち上げが好きになれない。労働への見返りとしての相互承認、承認目当ての労働というウロボロスの形は薄ら寒くて、身体が底冷えする。そうして虚ろな盛り上がりのための己を演じることで、目に映らない誰かの献身を抹殺しているのだろうと思うと、唐揚げに伸ばした箸も震え出す。僕には人に打ち上げられる価値も、人を打ち上げる資格もないのだ。

 「そんなに難しく考えることはないよ」彼女は言った。「空虚な儀式かもしれない。でも、何の労いもないよりはいいでしょう?」
 そうして僕は行く。肌は、やっぱり馴染まない。


5.
 執行代は辛い、と同期の誰もが言っていた。自大の者も、他大の者も。というより、僕はそう言ってくれる同期としか話をしなくなっていた。誰もが踠き、足掻き、やがて俯いていた。

 ずっと前から分かっていたことだった。一年生の六月、僕はあの先輩に、上級生はいつ練習しているのか尋ねた。七月、あの先輩が部屋の予約の仕方を語ってくれた。八月、あの先輩から頼まれた大会のジャッジを、僕は断った。
 見えるはずだった。駒場練の終わる九時、毎度蛍光灯のスイッチに手をかけて「消しまーす」と言うあの人の声あまりにも透き通っていて、その輝きの中に、触れれば弾けてしまいそうな脆さを聞きとらないわけにはいかなかった。ブログの丁寧なキャプションも、文字のフォントも、あの人が一人で執筆し、編集していらっしゃるものだと知っていた。UTDS大会参加者管理のメールアドレスの向こう側にあの人がいることは容易に想像がついていたはずだし、UTDSの口座に振り込んだお金をあの人が数えていることも分かっていた。あの人が毎月、社会人練習会のために準備を重ね、日曜日を捧げているということも聞いていた。あの人も、あの人も、あの人も、後輩の指導にこれほど割けるお時間はなかろうに、と気付けるだけのヒントはあった。僕が出ている大会はあの方たちが運営しているものだということも、パンフレットに書いてあった。駒場に、本郷に、大会に来て、その度にアドバイスをくださる他大の方々、上級の方々のスケジュール帳が白紙ではないことなど、見えるはずだった。なのに。
 恵みを享受するだけ享受していた僕は、見ないふりをしていた。そこに居続けることの対価を誰かが肩代わりしてくれているということに、気付かぬ振りをしていた。気付かないままでいさせてくれる人々に甘えて、モラトリアムに限界までしがみ付いていた。他者の努力の結晶を所与のものとして当然のように喰い散らかし、適切な敬意を払うことを怠っていた。

 執行代は大変だ、と同期は言った。僕は頷いた。そしてそれを、因果応報として受け入れた。受け入れざるを得なかった。辛くなければ罰になりえない。僕の無銭飲食、不敬という罪は、労苦によって償われるほかなかった。十字架には毎月の複利がついて、やっと目を向けた時には既に返済不能なほどになっていた。これでもまだ足りなかった。僕は働かなくてはならない。それは他の誰のでもなく、ただ単に僕の問題なのだ。自分を苦しめなければ意味がない。
 分かっている。無邪気にディベートすることを可能にしてくれた先輩方の血の滲む御配慮、御尽力を、僕は素直に喜ぶべきなのだろう。分かっているつもりだ。実際、心から嬉しく思っている。命懸けで僕たちに夢を見させてくれた先輩方を、誇りに思う。それでも、それは僕の罪とは別の問題なのだ。先輩方の望まれたことがどれほど純粋であろうと、一年生の僕が、その時与えられたものに誠実に対価を払おうとしなかったという事実は消えない。だから僕は、せめて己の血を以って償わなくてはならない。

 「執行、もう耐えられない」と君は言った。
 そうだね。けれども僕は受けなくちゃいけない。自分の責任だからだ。


6.
 僕は兼部していて、兼部先では執行代の二年生になってもヒラの部員だった。仕事の担当となった時期だけは、働いた。だが、他の期間は気の向くままに部室に赴き、気の向くままに部室から離れた。「この部からは何も受け取らず、この部に何も差し出さない」をモットーとして。
 そういう者達のことをフリーライダーと呼ぶのだと気付いたのは、割合最近のことだ。


7.
 副部長の役割の主なものにジャッジ集めがあった。大会に出場するチーム数に応じて、各大学は審判を務めてくれる者を集め、大会運営に提出しなければならない。毎大会のジャッジ表を作った。表の最初には、大概自分の名前を書いた。逃れ続けてきた年貢の納め時だった。
 次第に、僕の中ではジャッジは罰であるという刷り込みが始まっていた。そして僕がその罰を受けるのは当然だ、とも。虚構は僕の頭蓋に根を下ろし、空を覆い始めた。
 更なる咎を背負うことになった夏、僕の脳裏に浮かんだのはコミの二文字だった。コミ。大会運営委員。僕にとってそれは、受けるべき罰の延長でしかなかった。労苦だけが僕を救ってくれる気がした。



8.
 執行にまつわる話題を執行にまつわる話題という枠組みで語るのなら、それは必ず愚痴になる。部長、チーフ、部屋取り、ジャッジ探し、来ない返事、練習用の対戦表作成、メールの管理、リマインダー、大会用のチーム決め、既読だけが増えるグループチャット、全ては「辛い」の枕詞だ。
 本当は、執行にも執行ゆえの悦びが、楽しさが、やり甲斐が宿る瞬間が転がっている。でも、それは違った眼で露光しなければ見付けられない。それは他の事実との有機的な連関の中にしか現れないから、ひどく細かく断片化された言葉という形ではなかなか出てこないのだ。だから愚痴による承認しか、形にならない。

 「あの一年生の子さぁ、最近上手くなったよね」
 そう言う同期の目頭は潤んでいて、その顔はどこかぼやけていた。


9.
「ディベートのコミュニティーはさ、他と違って」
 初夏のことだった。四階の彼の部屋には鋭い西日が差し込んでいた。ビルの隙間を掻い潜って来た、暖かな光。物の少ない、整理の行き届いた部屋だった。一年生の僕は続けた。
「みんな、話が通じるんだ。みんなが考えていて、みんなが優しい」

 ユートピアというのはどこにもない場所のことだと、その時から知っていたはずなのに。


10.
 僕は二十歳になった。二年生の年末のことだ。部屋の大掃除をして、沢山の紙を捨てた。高校の頃のプレパ用紙に書かれた字は大きくて、そして歪だった。
 沢山の紙を捨てたけれど、そこに書かれていたはずのことは疾うの昔に既に失われていた。とっくに灰になっていた。その日ゴミ収集車に載ったのは、白紙の重さしか持たない虚ろな紙たちだった。


11.
 「UTDSの二年がディベートに本気にならないのは悔しい」
 他大の同期が言う。執行代も終わった十二月の夜。かつての相棒だ。
 「かかってこいよ、勝負しろよと思う」

 僕も強くなりたいと思ってはいた。正確に言えば、強くなりたいと思いたいと思っていた。強くなりたがりたかった。けれど何かが僕を締め付けて、縛り付けていた。
 先輩方を仰ぎ見るまでもなく、我々二年が弱いということは、当時の僕には明白に思えた。僕が燻っていることは、その弱さを創り上げる致命的な要素の一つだろうとも思った。僕はエースたることを嘱望されていたし、それが思い違いだったとしても、少なくともエースたらんという自負を抱いていた時期があったことを認めないわけにはいかない。
 いつしか強くなろうという意志が抱けなくなっていた。多分、どこかの大会で大教室に置き忘れてしまったのだと思う。忘れ物として本部に届いていたのに、1週間以内に取りに行くことも忘れていたから、今頃はどこか親切な方のESS部室の隅に運ばれていて、前世紀の空気の詰まったバスケットボールと一緒に埃をかぶっていることだろう。ご期待くださる方々には申し訳が立たないけれど、しかし、失くしてしまったものは戻らない。もし見つけ出せたとしても、それはもう以前と同じ温もりを持っていない。
 強くなって力を持つことを、いつしか僕は惧れ始めた。言葉が力を持って人を脅し始めることを惧れたのだ。大いなる力に伴う大いなる責任を引き受けることができないまま、僕は罪を重ねるだろう。そうして新たな傷を作り出すくらいならば、僕はその聖剣を抜くまいと思った。このまま登っていけばきっと見える景色を、怖いと思った。誰か、僕に代わって登ってくれ。

 僕は強くなる代わりに優しくなることを目指した。激する代わりに凪ぐことを願った。冒険よりも日常を選んだ。二者が矛盾しないことも、二者を兼ね備えなければ意味を持たないことも初めから分かっていたけれど、それでも僕は穏やかさだけを追って、そうしてソウルから始まった旅路は香港へと繋がっていた。
 「いつか真剣に君と戦いたい」
 相棒は言った。僕にはその素直な言葉が嬉しかった。それ以上に、その言葉を嬉しいと思える自分がまだどこかで生きていたことが嬉しかった。


12.
 「大学からディベート始めた勢としてさ、高校からやってた奴らには負けられないんだ」
 彼は言う。そうなんだろうなと思う。そうして、自分が高校時代にもディベートをしていたことを申し訳ないと思う。僕がいるということは、必然的に誰かを排除している。誰かの居場所を、僕は不当に奪っている。

 論題の守ろうとする関係者「アクター」なるものが想定される時、僕はそれとは異なるアイデンティティを持っていることがままあった。僕の周りの環境においては、僕は往々にして多数派にいた。あるいは歴史的に、社会的に力を持つとされる側にいた。大体において、僕は自分の全く味わったことのない境遇にいる人々の為に議論をしていた。自分が潜在的にもしくは顕在的に傷つけてきて、そしてこれからも傷つけていくかも知れない人たちを守ろうとしている時さえあった。
 とても大雑把な言い方をすれば、そしてこの大雑把さは許される大雑把さではないのだけれど、それでも大雑把に言えば僕はディベートをするにはあまりにも恵まれていた。何故限られた時間、体力、精神力を消費してまでディベートを続けるのかという問いは、何故司法試験もあるのにサッカーを続けるのかという悩みと同じくらいによくあるものだと思うのだけれど、僕にとってはどの可能的な答えも、四方に張り巡らされた「自己満足」の四字の壁を飛び越えていけるものではなかった。跳躍力が不足していた。僕には守るべき己の人生がなかった。僕がディベートを通じて得ようとしていたのは、ただ誰かを守ったという勲章と、その人を庇護下に置いたという支配感に過ぎないのだろう。アンクル=トミズム。いや、それですらないのかもしれない。ただ意味もなく、思慮もなく、論題の内容もそれに影響される人々の利害も何もかも全く考えずに、ただ任意の表彰状を欲しがっていただけなんだ。

「それでも、何もしないよりはマシだよ」
 彼女は言った。対岸の観覧車が放つネオンが彼女の髪を透けて、まばゆく輝いていた。この瞬間の為に、掌の中に閉じ込めて残しておいた夏の最後の一握りを振り絞るかのような、そんな光だった。「向き合うだけでも、半歩、前に進めるでしょう?」
 彼女の眼があまりにも綺麗だったから、僕は頷いた。彼女ならそう言うだろうと思っていたし、きっと初めから彼女からその言葉を聞きたくて、この話をしたのだろう。やっぱり僕は卑怯だ。


13.
 僕はその時、ジャッジ集めをしていた。その先輩は、「今回は無理だ」と仰った。何分か後に、「いや、でも無理を推せば行ける」というお言葉を送って下さった。僕はそのお言葉に甘えた。
 心亡きまでに重荷を背負った人に、そうして何度も鞭打った。ご承諾いただく言葉も、お断り頂く言葉もあまりに丁寧で、優しくて、温かくて、僕には耐え難いものだった。そうして取り返しのつかない疵痕を相手に付け続け、返り血を浴び続けた。鋭い刃物よりも、真綿で怪我をした。誰かの一日の太陽を奪い続け、その熱で僕の羽は溶け、身体は打ち砕かれていった。
 みんな鍋つかみを持って、防護服を着込んでいた。僕だけがその光球を素手で掴もうとした。その理由はわからない。多分、僕は防護服のことをを知らなかった。知っていて、それでも熱さを感じていたいと思ったのかも知れない。羽が溶けて堕ちると知っていて、それでも飛びたがる愚か者だったのかも知れない。僕が何を考えていたのか、僕が知るはずがない。


14.
 自分で言うのも気が引けるけれど、僕には得意なことが二つある。一つはできない仕事をできるということ、いや、厳密に言えば、自分でもできると思い込んだまま承諾して、後になってからできないと気付くこと。もう一つは、大して忙しくもない状況で自分を忙しそうに見せることだ。僕はこの二つの特殊能力に支えられて、今まで幾多の困難を乗り越えて来た。多くの周りの人々を巻き込み、その度に痛いほどのご迷惑をおかけして、血を流しながら。そうやって吸う旨い汁は、恐ろしい程に不味い。
 運営委員として壇上でアナウンスした回数と、掛けて頂ける感謝の御言葉の数との間には強い正の相関関係が認められる。でもそれは、実際の労働量とは比例しないのだ。僕は自分に苦役を課すと言いながら、実際には戦士に擬態して果実だけ攫っていく偽物だった。すばしこくスタンドプレーをすることしか頭にない、一球入魂の志を失った遊撃手だった。隣の堅実な三塁手の方が、本当は守備への貢献は大きいのだ。
 僕のような戦わない奴等は、縁の下で踏ん張っている人々を見えなくしている。賞賛に値するのは僕じゃない。運営ありがとうというメッセージを受け取るべきは、僕じゃない。そんなことは分かっているつもりだったのに、腐った性根は如何ともし難い。


15.
 「君と君の元いた場所との間に、溝が見える」
 相棒は言った。きっとその溝は僕が作ったものだ。無論、溝を作ったところで何にもならない。どこに行けるでもない。他の場所がここより良い訳ではないからだ。隣の芝は青い、ただそれだけなのだ。
 溝が幻影であることはとうに分かっている。それでも埋めることはできない。あらゆるものが、ずっとそのままでいられる筈がない。目を背けてはいられないのだ。


16. 
 僕は一般に言うところのフリーライダー全般が嫌いなわけじゃない。サークルに関わる者は須らく執行の業務をせよなどと、そんなことを主張しているわけでは到底ない。寧ろ、色々な人がいる世界の方が断然好きだ。
 たまに会えるからこそ愉快な奴らがいる。たまにしか会えないからこそ、話の弾む奴らがいる。別の場所で光を放っている奴がこの場所にもいるからこそ、ここに吹く風がある。僕はその風にはいつまでも清新であってほしいと願う。空気の淀んだモノクロの密室に閉じ篭っていても、吐き気がするだけだ。
 僕が見過ごすことができないのは、敬意という渡し賃を払わない只乗りのことだ。それは純粋に僕の内側に向けられた要求であり、他の誰に問うべきものでもない。それは僕の中に眠る無自覚さであり、無思慮である。与えられるものを与えられるままに、当然のこととして懐の中へと攫っていってしまう心である。
 与えられるものの裏に誰かの涙を認識すること。頭の片隅に、彼らのための場所を作ること。そのわずかな空間を空けておくことさえできない僕自身の狭量を、わずかな対価すら払おうとしない吝嗇を、僕はフリーライドと呼んでいるのだ。
 自分で戦わなくていい、だからせめて、戦う彼らの歌を笑うな。


17.
 僕はもう、競技から随分と遠ざかってしまった。それは、執行の雑務に伴う心身の疲弊に対する反動なのかも知れない。ジャッジとして誰かの生命を懸けた試合に裁定を下すことへの畏懼によるのかも知れないし、自分が大会に出るために誰かを帯同ジャッジにしなくてはならないことへの慚愧の念によるのかも知れない。競技に臨む己の感情の振れ幅に耐えられなくなったからなのかも知れない。運の占める比重に嫌気が差したことによるのかも知れないし、議題に頭が付いていけなくなったからなのかも知れない。広くて狭い、深くて浅い人間関係のひずみの蓄積が、知らぬ間に許容値を超えていたのかも知れない。純粋に、学業の多忙さによるのかも知れない。
 色々な説明ができるし、恐らくその全てが何某かの真理の断片を孕んでいる。それでも、最も単純な理由から僕は自分自身を逃がすことができない。結局、僕は逃げたのだ。自分の限界を知るのが怖かったのだ。いつか僕の前に現れるだろう壁を見るのが怖かった。僕は逃げた。その一文が日を追う毎により鮮明に目の前に現れ、脳を揺さぶる。他のどんな理由づけよりも鮮明に。だから僕は逃げ続けながら、逃げた自分をよりくっきりと脳裏に焼き付ける。


18.
 「俺たちはさ、どうしてあの時、もっとうまく振る舞えなかったのかな」
 ドリアが冷めていく駅前。
 「考えても仕方ないよ。あれが、考えられる最良の選択肢だった」
 「それでもさ。申し訳が立たないんだ。望んでいた結末じゃないからさ」

 結局、我々は過去に対して、花束を手向けることしかできない。
 いくつかの不正に口を噤み、いくつかの悪意に見て見ぬ振りをし、そしていくつかの不誠実さを作り出さなくてはならなかった。痛みを伴わなければ、前には進めなかったのだから。我々にできるのは過去を追悼して、そのどうにもならなさを噛みしめることだけだ。さもなくば、己の身を灼く炎にすら、痛みを感じられなくなってしまうだろうから。


19.
 夢の中で、僕はバーにいた。ドイツ映画でいつしか見たようなバーだ。隣には朋友が座っていた。ソイツにはもう長らく会っていないし、これからもきっと夢でしか会えない。

「小学校の道徳の時間はどうにも苦手でね。先生の顔色を伺いながら答えるのも辛かったけれど、それよりも、それに辛さを感じていない奴らが威勢良く挙手していく姿に耐えられなかったんだ。まぁ僕もその一味なんだろうけれど」
 友は笑った。僕のグラスにはジンジャーエール。夢の中でもアルコールは飲まないのだ。怖いから。
「僕が言いたいのはさ、運営委員に感謝しましょうとか、そういうことじゃないんだよ。僕がやらなければ他の誰かがやるだろう。僕は強制されているわけじゃなくて、ただ物好きが昂じて引き受けているだけなんだ。別に感謝されるようなことじゃない。少なくとも、感謝を求めるようなことじゃない」
 もちろん、僕個人の感想が運営委員全員に当てはまるわけじゃないだろうけど、と言おうとしたけれど、野暮だからやめることにした。コイツなら言わずともわかるだろう。判断を留保するのは、僕の口癖なのだ。そのせいで一回の発話の単語数が多くなって、結局断定的に見えてしまう。
「運営は運営で、勝手に楽しくやっているんだよ。ほら、参加者が試合をしている間、運営控え室では実に色々なことをしているんだぜ。お菓子は食べるし、持ち込んだ課題レポートと格闘するし、カードゲームをする奴もいる。苦しいことも、落ち込むこともあるけれど、それだって望んでやっていることさ。忙しがれるってことも青春の特権だろう?」
 そこまで言い終えると、僕はたまらなく侘しい気持ちになった。朋友がそこにいるということが、僕にはどうにもよく分からなくなってきた。話が通じているか不安になって、僕はジンジャーエールを飲み干した。
「ただ僕は、運営しているのも一人の大学生に過ぎないって、そう思うんだよ。学園祭の実行委員と一緒だ。委員に期待していいのはそこまでなんだ」
 友は真剣に僕の目を見て聞いてくれていた。不自然なほどに。僕の知っているアイツは、もっと人の話に割り込むような奴だったはずだ。僕はその割り込み方が好きだった。
「ちょっと違う論点に見えるかも知れないけどさ、ディベーターだって一人の大学生だ。プロなんかじゃない、同好の士に過ぎないんだ。だから、少々まずいスピーチをしたって、勝てなくたって、的を射られなくたって、ジャッジに貶される謂れはないはずだ。テニス部員がダブルフォルトしたって、誰にも彼の人格を否定する力はない」
 朋友にはテニスの喩えが通じなかった。いかにも朋友らしい。どんな喩えなら通じるのか、コイツが僕の周りにいる間に見つけ出すことはできなかった。きっとコイツと僕とは違う世界に住んでいて、僕の持ちうるどんなメタファーも届かなかったのだろう。
「それと同じでさ、委員だってプロじゃない。審判長団だってプロじゃない。だから、予測される全ての事態に備えて、あらゆる対策をして、万事を円滑に進めるなんてことはできないんだ。少なくとも、それを当然のこととして期待してもらっても、それには応えられない。運営から参加者に対しても同じことだけれど」
 会場の床は滑らかなものと考えてよいわけじゃないからね、と言いかけて、やめた。

 隣人の背負う荷物に、十分気が付いているということ。これを誠意と呼ぶのなら、過度な期待をかけないことも、そのうちに含めていいだろうか。


20.
 さよならだけが人生だ。

 組んで一緒に大会に出て初めて、人柄がわかるということがある。それと同じように、運営用の部屋で一緒に作業して、それで初めて見える人の側面がある。彼と僕とは幼少期に同じゲームで遊んでいたらしく、彼女と僕の好んで読む本にはある共通性があり、彼と僕とは似た問題意識を抱えていて、そして彼女が世界について語る言葉は煌めいていた。それに気が付いたのが大会中で、彼らと初めて出会ってから一年半が経過していた。そしてそれは恐らく、僕の耳に彼らの声が届く最後の日であり、彼らの瞳に僕の姿が映る最後の日であった。
「きっと、また、どこかで」
 彼女は立ち上がって虚空に言の葉を探したが、ついに見つけられなかったようだった。電車のドアは定められた時間に、定められた速さで閉まり、僕たちの生きる世界を隔てた。ホームはある指数関数に従って遠ざかっていく。彼女はきっと、また、僕の知らないどこかで、誰かの世界に火を灯すのだろう。

 結局、かつて息の詰まるほどに僕の空を覆い尽くしていた懊悩は、執行代が終わると同時に急激に色褪せ、その重みを失ってしまった。責任だとか贖罪だとか、期待だとか正義だとか、理想だとか義務だとか、逃避だとか、生だとか死だとか、その時は色々な強い言葉たちの魔力を借りて形にしようとしたものだったけれど、本当はそんなに大袈裟に考える必要などなかったのだ。
「俺たちはみんな、子供だったんだよ」
 僕がそう言うと、かつての相棒は笑った。眩しいほどの笑顔は、懐かしくも新しい。
「そうだね。風呂で溺れていただけなんだ。差し伸べられる手もあったのに、全て拒んでさ。どうして気付けなかったんだろうね」
「子供だった。今もまだ子供だよ」
 僕はきっと、そばにいた頃からこの人のことを何も分かっていなかったし、これからも何一つ知ることはないのかもしれない。僕達の描く軌道はある瞬間、たまたま僕達を近付けた。手を伸ばせば届きそうなほどに。でも交わりはしなかった。それだけのことだ。

 僕は多分思っていた以上にしょうもない人間だった。そして世間も、思っていた以上にしょうもない場所だった。意味がありそうなものの多くには僕が信じていたような意味などなかったし、権威のありそうなものの多くには僕が信じていたような権威などなかった。僕達を結ぶ糸が世界というタペストリーを織り成していると本気で考えていたけれど、そのほどけやすさには気付いていなかった。絶たれたところで糸の色が褪せるわけでも、濁るわけでもない。
 いつまでも消えないと確信していた灯火が当然のように消え、名前さえ知らなかった花が今なお咲き続けている。俺はきっと、あの時感じていた以上にお前に助けられていたんだ。これから先、きっと事あるごとにお前のことを思い出す。新しい消しゴムのフィルムを剥がすたびに。信号の一歩目を踏み出すたびに。二回微分をかましてやるたびに。石段の坂道にぶつかるたびに。そのたびにお前が浮かぶ。俺は記憶の中のお前の抜け殻を虚しさで繕って、ソイツと一緒に生き続けていく。

 記録はこのブログに残した。映った写真の中に、成果を伝える報告文の中に、綴ってくれた感想の言葉の中に、ひとりひとりの足跡が刻まれたことを願う。他者の残した轍の中に己の姿を見出せるような記事であったことを願う。読み返せば駅から大学までの土の匂いが、会場の蒸し暑さが、帰りの電車の発車音が蘇るような場所であることを願う。来し方ばかりを振り返っているわけにはいかないけれど、撒いてきた道標が食い尽くされてしまっては寂しすぎるから。
 ありがとう。そして、さようなら。本当に伝えたいことが言葉になるのは、決まって後になってからなのだ。



 


コメント

匿名 さんのコメント…
君と出会った春が来る。
君のいない春が来る。
ありがとう。