会長の4年間~~一気に今日まで~~

どうもみなさんおはこんばんにちは、山岸です!マレーシアはクチンのホテルの一室から投稿しています。現在ここでAsian BPという大会が行われているのです!(報告は後日☆)さてこちらWiFi環境があまり良くなくなかなか投稿ができなかったわけですが、何とか本日投稿画面までたどり着きました。。毎日連載という約束をやぶってしまいすみません(>_<)「早く会長の文章読ませろくそブログ担当!」という声をたくさんいただきましたので、ここに残った全文を掲載します!お楽しみください!
すごい!会長以外みんな顔が伏せられてる!

Ⅱ.1年生の春セミ~2年生の春セミ

すげえ、めっちゃ春セミって俺のディベーター人生の要になってるじゃん!!ありがとうJPDU!今段落作ってて初めて知った!すげえ。この間の夏セミで俺のレクチャーに何の意味があるのだろうと思いながらプチ鴨長明している場合ではなかった。JPDUセミナーって大事だなあ。みんな、JPDUセミナーに行こう!(これで春セミのレクチャラーは固いかしら。ぴーたーさあ、SF行ったらやらしてくれるって口約束だけど言ってたよね?ね?ね?ワクワク(公開談合))

 

さて、1年生の春セミで何があったのか。なのですが、3つあります。①外人レクチャラーにボコボコに言われた。②自分の音源、動画を見てしまった。③たきざわせいさんとこーきさんのスピーチに感動した。順に説明していきます。

 

当時の僕なのですが、謎の自信がどうやらあったようです。今となってはもう完全に意味不明なのですが、なので意味不明な、人の何の参考にもならない話をしてもしょうがないので、意味不明体操でも踊った方が有意義なのですが、そんな意味不明な体操を作ってしまうと今度飲み会で吉丸さんにやらされそうなのでやめときます。その自信と言うのは、「こんだけ良いこと言ってるんだから、英語出来る外人に見せたらきっと評価されるんじゃないか」という自信であります。というか、春セミまでネイティブにジャッジされてなかった若き日も意外ですが、まあそれはヤングマンということで。(♪いみふめいたいそう~)結果はボッロボロでした。あまり覚えていないのですが、「うるさい。意味不明。」みたいなことを言われたような気がします。割と真剣にディベート辞めようと思いました。

 

次が自分の音源、動画を見てしまったことです。当然僕は不真面目な人間なので、スピ練をしたことは、4年間で10回くらいしかないですね。うん。あと、ボイスレコーダーを持っていないという理由でそもそもディベートを録る習慣がないボウイなのです。ところがなんか新歓ビデオを作るとかなんとか言うので、自分の音源を撮ってしまったんですねえ、しかもビデオで。そこで萎えちゃったわけです。こんなに意味が分からないのかと、俺の今までのスピーチはこんなに訳の分からない動きをしているのかと。しかもオーソリに意味不明だと言われた直後でいよいよ萎えてしまいました。人生で初めてスピ練をしたのを覚えています。櫻井さんに見ていただきました。うん、いい時代だ。

 

最後が意外なことにたきざわせいさんとこーきさんのディベートを見た事なんですねえ。かんっぜんにディベート辞める気だったんで。それがあって続けた所があります。どれくらいディベート辞める気だったかというと、船渡さんが尿管結石という人生をかけた一大事になっていたにも関わらず、「ねえ、ディベート辞めたいんだけど」というクソどうでもいい電話をかけるくらいにはやめる気でした。うん、いい時代だ。

 

なんでこーきさんとたきざわせいさんのスピーチが僕にとってエポックメイキングだったかと言うと、これには背景があります。僕が入部した頃のUTDSは、紛れもなく黄金時代でした。どの大会に見に行っても、佐野さんと富永さんという最強のお二人が優勝していました。ものすごくかっこよかったのを覚えています。このお二人に対する、超えてやろう感ではなく、ただただつえーカッケーと賞賛して終わっていた意識というのが、UTDSの暗黒期を招いたと自分は分析しているのですが、それはまた別の話として飲み会でするとして、とにもかくにも一個上の先輩は最強だったのです。そこで不幸な思い込みが僕の中に発生していました。それは、ディベートは英語が早ければオートマティックに勝てるという思いこみであります。今にして思えばものすごく失礼な思い込みでした。富永さんの強さも、佐野さんの強さも英語のスピードではありません。分析の深さ、固いアナリシスetcであります。しかし、たまたまお二人とも当時の僕にとって英語がものすごく速かったこと。中身のマターを見られるようになるまで成熟していなかったことなどから、英語のスピードゲーだと完全に諦めきっていたのです。そこに現れたたきざわせいさんとこーきさんの春TGFの音源は感動的でした。少しばかりゆっくりとした英語で分かりやすく伝えてくる。自分の諦めを変える感動がありました。そしてウィップで出てくるこーきさんは笑いを取りながら軽妙にdisって行きます。そうだ!俺はこれを目指そう!と思い、なんとかディベートを続けていくことにしました。そこから自分の目標となるディベーターは、亀井さん→こーきさん→富本さん→内山さん→りこ→田中さん→よーちゃんと様々移っていくのですが、恐らく誰にも知られていないと思います。また、このように部内でツートップがあまりにも強くなり過ぎてしまうとあきらめのムードが出てしまうので、その思いから自分自身は部に多様な人材を残すことこそが重要だという思いを抱くのですが、そのような部の運営批判に関しても、話す場所が違うので、これもまたマグロでも食べながら。(しつこいと思っているそこのアナタ!アナタはもう既に我が術中にはまっている!!)

 

とこのようにこの時期に理解はしたのですが、そこから実際に上手くなるまでに2年もかかったので、理論と実践は本当に違うなあとしみじみしてしまいます。うーん、しみじみ。しじみ。海産物パラダイスだな、やっぱり合宿で海沿いに行くと発想力が違うな。最近ではぴーたーとかぴーたーとか、スピーチが丁寧でも鬼強いディベーターが現れて、本当に良い時代だと思います。秋Tでも、相手のマター量がどんなに多かろうがかっこよかろうが、「お前はそんなに言葉を尽くさないとまともに説明も出来ないのか、つくづくてめえらの脳みそは二流だな。会長のブログか!!」とツッコミながら鼻歌まじりで心の底から見下せるようになったので、本当に勝ってよかったです。やまぎしありがとう。(感謝するタイミングが違う!)

 

さて、そこからジェミニでまさーつからスピーチの矯正手術を受け、部内で勝てはするものの自分のスピーチの面白みはなくなったなとか思いながら、また、ADIで英語があまりにも通じないので、思いっきりマター量減らしてゆっくり説明してやったら、ブレイクしたので、なんだこいつら俺の英語も分かんねえのかクソだなとか思いながら、Noviceでバブルにも進めなかったことにディベートへの絶望を感じながら、Tokyo Miniで最下位じゃなかったことに喜びを感じながら、2年生の春セミを迎えます。

 
若かりし日々

と思いきやもう一つだけこの時期にディベートは英語ではないんだなと思わせられる出来事がありました。それは2年生期末の法学部試験明けに上智に練習に行ったときのことです。めったに自分は他大に行かないので基本的に、他大の人と組むこともないのですが、たまたまよながとじゅんじゅんと各々組んでディベートをすることがありました。僕にとって彼らは基本的に英語で勝っている感満載のディベーターだったので、特に期待もせずプレパに臨みました。しかし、絶望的なことに、絶望的によながもじゅんじゅんもマターが出る出る。組んでみて初めて分かったのですが、ディベートは既にプレパで終わっていたのです。この体験は自分にとって深く心に刻まれ、ディベートはプレパだという思いが強まりました。

 

このように割と絶望的な日々だったわけですが、何故そのさなか自分がディベートコミュニティに残ったかと言うと、加藤さんのおかげで春Tでジャッジブレイクをし、ディベートは出来ないからジャッジとエデュケのあきらかとーを目指す!という目標を立てて頑張ったのが大きいです。ただ、関係ないのでこの辺りは過去のブログ参照。


Ⅲ.二年生の春セミ~3年生のプレオーストラル

さて、飲み会の鉄板感動話である、2年の春セミでの佐野さんとの話をするよ!ごめんね!定番の話でごめんねごめんねー。さて行くぜ!!上智の練習での衝撃から、プレパの模索を続けていたものの、やはり会長は当時、完全にディベーターを見下しきり、ディベートに対する諦めは極致を迎えていました。まあ前者に関しては特に今も変わる所は何一つないのですが、後者が変わったっていうのがまあ多分大きな変化なんでしょうね。そのくらいは文脈で分るよね。考えようね。(新しいギャグ:ただのウザい人!)

 

2年に渡るディベート生活を終え、いよいよ新たなディベートに対する思い込みを形成します。その思い込みというのが、「ディベートとは音源を数多く覚えた者が勝つ百人一首である」という結論であります。また、当時の会長さんはものすごく素直な後輩だったので、純真爛漫なちょっとユーモラスな愛されブログ担当だったので、こういう内面で思っていた話と言うのはほとんど外に出さなかった訳です。Twitterで暴れてみたり、FBで喧嘩を売ってみたりなどということは全然なかったわけです。

 

そんな彼が、部の大先輩であり、憧れであり、畏れ多い存在であり、一種の神である、佐野さんとたまたま二人きりで部屋で話す機会に恵まれるわけです。当時もう既にディベーターとしては諦めきっていましたし、またとない機会なので怒られる覚悟で佐野さんに百人一首の話をしました。

 

「なかなか誰にもこれまで言えないことだったんですけど、僕は浪人時代、クイズマジックアカデミーっていうゲームにはまってたんです。クイズに答えて全国の対戦者と対戦していってレベルを上げていくっていうゲームなんですけど、最初の方は東大受験生としての思い上がりから自分の頭の良さをひけらかせて楽しかったんですね。でも、ある時突然面白くなくなったんです。と言うのも、上の方の階級になると、みんなゲーマー過ぎて問題と答え覚えてるんですね。問題の一文字目が出た瞬間みんな正解するって言う百人一首みたいな感じで。今、僕にとってのディベートも同じで。モーションが出た瞬間音源を思い出してそのアーギュメントを言ったもん勝ちっていう。僕は自分の頭で考えるのが楽しいからディベートを始めたんであって、ディベートがそんなクソみたいな百人一首なんだったら、僕は百人一首サークルに入りますし、音源なんか聴かなきゃいけないんだったらディベートなんかいつだって辞めてやります。」

 

当然怒られると思ったわけです。音源聞かない宣言という練習しない宣言に近いことをやってる訳ですからね。まあそれを先輩のみならず全世界にブログで発信してる自分自身の今の営みは一体なんなんだろうという壮大な問いがあるもののそれはいいとして。

 

「何で今までそんな大事なことを言わなかったんだ。そんなことも言ってくれないなんて、水臭いじゃないか。別に俺も音源聞くけど、聞きたいから聞いてるんであって、音源トークとか正直どうでもいいと思ってるし、聞きたくないものなんか別に聞かなくていいから、自分の思うディベートをやればいいんじゃん。こういう意見も多分部、またはディベート界にとって一つの重要な意見だと思うから、今後はもっとどんどん意見があったら言って欲しい。」

 

と言われた訳ですね。そこからオーソリに噛みつくようになったというか、なんというか、まあそんな感じですかね、ハイ。まで書いた所で、だいぶこのブログを書くのに飽きてきたので少し昼寝しますおやすみなさい。さて、昼寝の間にESUJ絡みの用事を颯爽と済ませ、本編に戻りますか。今回のブログを今読み返したら走ってるなあ、人に読ませる文章ではないなあ、やっぱり二日酔いで書いたらいいことないなあ。まあいいや。思い出した話があるので同じ調子で書いて行きます。閑話休題。そこでディベートへの情熱をもっぺん燃やして、春Tに挑んだ訳なんですが、なかなか上手く行かないかったんですねえ。悲しい。ごめんみさわミョンバク。



Ⅳ.3年生のプレオーストラル~

僕はプレオーストラルが好きです。あの適当に出れる感じと、リーダーをやったら人の話を聞かなくて済むAsianスタイルと言うのが大好きです。3年生の頃、僕はくわという天才と船渡さんという天才と就活めんDというチームで出ました。今にして思うとあの3人の中で就活をしたのは僕だけなのでよっぽど面倒くさかったのでしょう。この二人はものすごく頭がいいです。半端ではないです。そしてやはり素晴らしい経験だったのは、田中さんとこーきさんという二人の偉大な先輩を倒すという経験が出来たことです。

 

こーきさんに関しては既に書いたので良いとして、田中さんというのも僕にとって憧れの先輩でした。僕が唯一7分くらい見た音源であるJapan BP 2012GFといい、本郷練での神のようなアナリシスの数々と言い、この人の話はとにかく頭がいいなと思います。簡潔かつ必要十分にアーギュメントを詰めていき、そしてマターセレクトも確実。反論も華麗であり重厚で僕にとってはまさに理想のディベーターでした。先ほど言及したディベートという競技に幻滅しきった2年生の終わりの時期にも、僕は本郷練担当という仕事を担当しました。ひとえにその理由は田中さんのディベートがいつも感動的だったからです。ジャッジはしたくないので基本的に逃げていましたが、しかし本郷練でのディベートはいつも本当にレベルが高くて、本郷練のラウンドを見ている時だけは本当にディベートという競技の魅力に接していたと思います。

 

という自分にとっての神々を殺す体験をしたわけです。くわと船渡さんの織り成すマターは本当に神でした。ああ、プレパの段階で勝負は決まっている。しかもくわもふなとさんもディベートに毒されていない。なのに勝っている。そうだ!頭がよかったらディベート脳なんかにならなくたって勝てるんだ!という勝利の快感を覚えてしまったわけです。自分が求めていた、楽しいディベートであり、自分にとってのディベートであり、クソみたいな音源ゲーからも英語ゲーからも離れたディベートの僕にとっての純粋な楽しさと言うものに触れられたこのチームに関しては、僕は未だに深く心に刻まれていますし、あれほど楽しかったことはありません。

 

自分の頭で勝つ。という目標を立てて挑んだものの、3年生の間は結果が振るいませんでした。嘘です。結果が振るわなかった訳ではなく、普通にタブとジャッジと就活で大忙しだったわけです。にもかかわらずJPDUはACに入りたいとかレクチャラーやりたいと言えば、やれ直近での大会での実績がないだの、海外大会で勝ってないだのディベーターとしての実績がないだのゴミみたいなことばっかり言って本当にうっせえな。そのくせなんかあったら、タブやれだのコミが足んないだの言いやがってふざけんな。僕は恐らくJPDU関西とか九州大学のような懐の大きな所でなければACもレクチャーも出来なかったでしょう。本当にありがとうございます。ん??んんん??ギャグがないって???この段落はギャグ抜きでただのガチの愚痴っていう壮大なギャグですけど何か???ええい、山岸、検閲により削除だ!!

 

さて、風向きが怪しくなってきたのでだいぶ話を変えます!!かえまーーす!!なんでここまで書いてこなかったのか不思議な話ですが、僕には若かりし頃に決めたことがあったのです。それは、海外にはお金がないから基本行かない。海外大会目指さない。音源聞かない。リサーチしない。英語メディアは特に見ない。スピ練しない。というのも、そう言うディベート人生を送って成果が出た方が絶対面白いだろうし、後輩の中にも訳の分かんねえ外人のおしゃべり聞いてるよりは、ざっくりハイタッチとかダウンタウンの洗練されたコントを見たい人がいるだろうと思ったからです。あと、海外に行っていちゃいちゃわふわふしなくても全然普通に活躍できた方がかっこいいだろうなと思ったからです。そういうロールモデルになりたいな、と思っていました。(でもやっぱ海外行きたいよう。最終学年だもの。ディベーター日本人と海外旅行したいよう。飛行機のガソリンの無駄使いしたいよう。どうしよう、ADIしか行かないままディベート人生終るのかしら。悲しい。)今までは勝てていなかったのでそんなに公言はしなかったのですが、勝っちゃったので公言し放題ですね。フハハハハハ、嬉しいですね。フハハハハハ!やったやった!わっしょいわっしょいオーソリわっしょい!わっしょいわっしょい!俺はやってやったぞフハハハハハwwwwwwwwwwwwwwwwざまああwwwwwwwwwwwwwww

 

ダメだ、ブログが終局に向かってむしろ社会的に問題のある方向に進んでいる。つ、疲れてたんです!もうブログ執筆時間5時間超えてるんです!誰もお金をくれないんです!肝心の秋Tの話はどこいったあああああああああああ。秋T感想の回で秋Tの話に移る前に10000字超えてるってなんなんだ!トリストラム・シャンディか!!

 
さて、秋T感想の見どころ。会長は若き日の決意をどこまで変えどこを変えなかったのか!理想と現実の相克に悩む会長が最後に見たものとは!乞うご期待!!

ついに本編

秋Tの今回のメンツが決まったのは、、、え?山岸が前のブログで書いてる?読んでないだろ誰も。もうどうせこの記事載る頃には二週間過ぎてるだろ。まいっか。俺のブログだから俺の話だけを書こう。

 

今回の秋Tにはテーマがありました。頭のよさで勝負をしよう。というテーマであります。実は会長はそれまで全然別のテーマでディベートに臨んでいました。というのも、会長のスピーチは分かりにくい分かりにくいという風な評判だったので、逆に分かりにくさを活かして分かりにくくマターダンプをしてあとで後ろのスピーカーに回収してもらおうという狙いでした。しかしそれをやめようかな、とある日思い至ってしまったのです。4年生で引退だしそろそろJPDUT欲しいなー。どうせディベーターとしての会長なんか1年生の時に死んでるんだから、世間に合わせてやろう。と思ったわけです。なので、今回はJPDUTを獲るために、プライドとか決意とかは全て捨てることにしました。捨てられないものもあったけど、ただ、周りが言うようにスピーチもプレパも変えて、山岸の言うように練習して、山岸について行こう。と思ったのです。割とこの秋Tに臨む思いは非常に強いものがありました。山岸もものすごく寛容でした。頑固でメンヘラでしかも実力のない先輩という見るからに老害に懲りずについてきてくれました。

 

ジャッジテストから我々の秋Tは始まりました。二人とも大忙しだった8月を終え、9月の一か月は秋Tに捧げようと決意していました。しかし結果はみなさんご覧の通りの結果でした。そこから、まずプレパを何とかすることから始めました。僕はディベートはプレパだと思っています。徹底的にラウンドをし、ラウンド後はいつも二人でプレパの問題点を洗い出し、理想のプレパを追求しました。

 

スピーチも変えました。つまりマターダンプ型からゆっくり分かりやすいスピーチに変えようと思ったのです。イントロも山岸の命令で導入することにしました。それまではどうせイントロで何言っても伝わらないから言ってなかったのですが、導入しました。こうした変化の契機となったのは、意外なことにジャッジテストでした。ジャッジテストの自分のスピーチを見て、絶望したのです。マターをダンプしているどころが、話の中身のないスカスカさ。ところが、ゆっくり自分の英語で喋るスタイルに変えると、しっかりマターが詰まっているのです。目に見えた変化に感激しました。

 

以上の二つも去ることながら、明らかに自分達にとって大きかったのは駒場練です。まず後輩たちが多く秋Tに出ており、秋T対策を一丸となってすることが出来ました。秋Tの週などは毎日駒場でラウンドをすることが出来、一気にラウンド馴れをすることが出来ました。しかし、何より特筆すべきは、駒場のレベルの高さです。ラウンドのレベルは毎回ブレイクラウンドでした。いやマジで。普通にトップルームレベルのラウンドが毎回出来たので、Openingが強い時のClosingとかめっちゃ練習出来ました。QFのメンツもSFのメンツも全員駒場でやりあった連中だったって言うのがそのことを示しています。また、ジャッジも本当にレベルが高かったです。CAが普通に来るし、まさもふじTもいつもすごくレベルの高いリフレクをくれました。本当にずーーーーーっと秋T前日まで全く勝てなくて何も見えず、絶望的で、秋T出るのを真剣にやめて神戸観光でもしようかなと考えていた時期にも、まさもふじTもいい所を褒め、悪い所は指摘してくれ、何より心から応援してくれました。僕は残念ながら褒められて伸びる子なので、あのまさにウィップ褒められたのは本当に良い思い出になりましたありがとうございます。

 

話が被りますが後輩のレベルがものすごく高くなっているのも刺激になりました。ずっと見てきた後輩なので、実際に勝負するまでどれくらい化け物かを知らなかったのですが、ラウンドを重ねるともう一瞬で分る化け物っぷり。溝上とかぴーたーとかまぶちとかあとーとかぼんきなとかぴょんゆかとかともあきとかししくらさんとか。特に溝上は化け物でした。仲良くしている後輩なのですごく素直にアドバイスをもらえましたし、本当に良い刺激にしかなりませんでした。秋Tの練習の間考えていたのは、ただひたすらどうやったら溝上に勝てるかしか考えていませんでした。未だに勝てないのですが、目の前にいい目標があるというのは自分の能力を向上させるのにこれ以上ない環境でした。

 

さて、どれくらい秋Tに向けて自分を変えたかですが、上に言及した以外では、スピ練は結局一回しかしませんでした。リサーチも、ちょろっとハフィントンポストを斜め読みした程度でした。山岸に音源を見て研究しようと言われたのは頑なに拒否しました。BBC?CNN?ちょっと何言ってるかよくわかんないです。

 
さて、ものすごく長い記事を書いてしまいました。自分の4年間のディベート人生を綺麗にまとめてしまいました。本当に持ってる話を全部出しきってしまい、これ以上もう何一つ話すこともないので、これで文章を締めます。それでは、また会う日まで。会長でした。

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