gemini cup 2018 感想文by 浅野くん〜私の最近の胃のキリキリがようやく解消されました...〜

こんばんは!ブログ担当の有田です!
今回はみなさまお待ちかね、才色兼備、ディベートを愛し愛される、我らが超有能な部長、浅野くんにgemini cup2018の感想を書いていただきました。
自分のポリシーで報告を書いてから感想を載せたいと思っていて、ただ私が諸事情でブログを書けなかった結果、とても早く提出していただいていたにもかかわらず、最終的にこんな時期になってしまいました。ごめんなさい。
この期間、浅野教の熱心な信徒であらせられるUTDS浅野親衛隊(注:そんなのはいません!多分!)の方々に、「早くかけよ!!」と会うたびにプレッシャーを書けられ、ブロ担は恐怖のあまり駒場練習にいけたとかいけなかったとか。

さて、こんな前書きを書いているとまた怒られてしまいそうなので、早速行っちゃいましょ〜!


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UTDS部長の浅野広太郎です。6/23, 24に行われたGemini Cup 2018という大会で幸運にも優勝することができました。以下はそこで得た経験、自省を書き綴ったものです。文中には、所々にディベーターにしか通じない単語や英単語があります。過去のUTDS blogJPDUのサイトをご参照いただけると幸いです。また、建設的に大会を振り返る形式の文章はJPDU blogのほうに張と沖田とリレー形式で寄稿しました。ジェミニに向けて参考にしたいことがあれば、そちらをお読みください。


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A life is not important except in the impact it has on other lives.

生きる意味を見出すのは難しい。特に自己の内側に見出すのは。もし仮に自身が人類最期の1人になっても、種が地球史に刻む時間を引き伸ばそうとはするまい。いや、できないだろう。どんなに先祖に申し訳なくとも。分かち合う仲間がいないのだから。その点、ジェミニは美しかった。美しいと信じたかった。人に良い影響を与えたかった。

〇チームメイトの話
37日。「夜が明けました。昨晩の投票の結果、残念ながら案②と案③が犠牲者となりました。」という報告がLINEでなされる。案①という市民が生き残ったのだ。あるいは人によっては人狼だったかもしれないが。そう、今だからこそ言う。自分は案①を1位にはしていなかった。先輩によるコンドルセのパラドックスの説明を確認しながら、不安が渦巻く。
私は不遜な人間だ。下北沢のサイゼリヤに3人でご飯に行く。決して良い雰囲気ではなかった。何が原因だったかは覚えていない。でもその時、エクスコの雰囲気も良くなかった。ディベートが楽しくない、ジェミニでやめるかもしれない。そんな空気を背負いつつ顔を上げて歩みを進めるのは簡単ではない。仲間を信じきれなかった、あの時の自分が恥ずかしい。練習を始めて最初の数ラウンド、個々人がバラバラの作業をしている感覚だった。本当に。チームという感じがしなかった。でも不安を前面に押し出すことはしない。みんなもう“大人”だから。どこかで互いに感じ取っていたとは思うが。
自身は海外大会があり、沖田は学業に忙しかった。好転しないまま時はなんとなく過ぎていく。転機はいつだっただろう。張と二人でウィップを基礎から練習していったころ、そんな気もする。勝手に思い出したりした、高校生の全国大会に向けて二人で準備した時間を。徐々に、チームとしてまとまっていく。張のウィップが機能し始めると、沖田のセカンドも安定しだした。少なくとも自分はそう感じた。うん。大会前には互いの信頼をしっかり感じ取っていた。
実はこのチームは、結成から優勝まで3回しか負けていない。勝率で言うと9割くらいだったと思う。プレジェミニで全勝できず、気を引き締められたこともよかった。それでも本番は甘くない。
本番、Round 3Quarter Finalでプレパが失敗した。とんでもないリーダースピーチをしてしまった。それでも勝てたのは、間違いなくチームメイト2人のおかげである。張と沖田は本当に強かった。予選でチームとして良いスコアをとれなかった責任を感じる。申し訳ない。ただ一つ、悩み多きチームメイトに「ディベート楽しい」と笑顔で言ってもらえるほどの喜びとやりがいは、この世にそうそう存在しない。そういうことだ。ありがとう。このチームでよかった。心から。

〇仲間の話
「人に良い影響を与える」ということは決して一方通行ではない。ジェミニチーム結成から本番までの間に、Taiwan Debate Openというビッグイベントがあった。人生の価値観そのものに影響を及ぼした大会だ。ビッグすぎて、ここで語るには長すぎる。部長を終えた時のためにとっておこう。今はとりあえず、チームメイトだったジェミニのAC2名に愛と感謝を伝えたい。ここではそれで十分だ。
自分は他人から影響を、良い影響を常に受けている。そう思っている。それはもちろんAC2名だけではない。同期に先輩に、そして今では後輩に。そのうちの一人が、彼である。そう、みんなよく知っているKDSの部長なのだ。WSDC Japanのチームメイトであったときから、彼の才能は常にずば抜けていた。しかも、人格者である。負けた大会の直後に「おめでとう」とメッセージを送る、そんなに簡単なことではないはずだ。彼とは大学に入ってから、BPを除くと全ての試合でsplit voteで雌雄を決していた。プレジェミニでさえ、イニシャルは割れていたのだから。
だからこそSemi Finalunanimousにしたかった。間違いなくジェミニで一番盛り上がった試合だった。互いにベストなパフォーマンスではなかった。でもその分、とても僅差だった。本当に危なかった。ああ言っていればなあ、と思うのはどうやら敗北した大会だけではないようだ。彼もまた同じことを考えているのかもしれない。こうしてまた影響を受け続ける。感謝。尊敬。また当たりたいし、組むのが楽しみだ。やっぱり彼は強い。
ちなみにGrand Finalでは、プライベートでさえ最大に影響を受けているWADの高校同期と当たれたわけだ。それはGFに高校時代からの心友が3人いたことを意味する。やはり人生の意味は相互作用なのだろう。
今回の決勝はこれまでと何かが違った。ほとんど緊張しなかった。今まで自分を優勝直前で阻んできていたのがだいたいKDSだったこと(実際には半分だが)、そしてAC2人と組んだ大会での経験が自分に自信をもたらしてくれていたことが要因だ。なんて都合よく解釈できる世界なんだろう。去年5回も決勝で負け、学年大会はなんだかんだ1回も優勝できなかった。それが最後の学年大会で報われたのだから。いままでの負けを誇りに思いたい。勝負事はそう簡単に割り切れるほど、多くの人にとって単純ではないということもまた理解しているのだが。

〇ディベートの話
なぜジェミニが美しく感じられたのか。なぜ自分はディベートをしているのか。もちろん決まった解答はない。でもそこに一義的、かつ刹那的な答えをジェミニは改めて表現してくれた。
自分は人の心を動かしたいという欲求に突き動かされている。
ディベート活動といっても競技そのものから、コミュニティにおける人付き合いまである。競技そのものでは、決まった時間、自分のスピーチを聞いてくれる人がいる。そこで、みんながうなずいてくれる光景が好きだ。大好きだ。自己満かもしれない。でもそれはコミュニティにおける人付き合いでも同じことではある。
ジェミニに向けて本当に多くの人に支えられた。毎回の本郷練はもちろん、最後の週の駒場練では本当に多くの先輩方に来ていただいた。他大の方も含めて。素直にとても嬉しかった。
決勝でのスピーチは一生忘れられない気がする。みんな真剣に聞いてくれていた。みんな応援してくれているように感じられた。大会を通じて、本当に多くの方から声をかけてもらった。尊敬する先輩方も含めて。WSDC時代からの師匠は決勝のスピーチに対し「84点」、ひたすら憧れ続けた過去のジェミニチャンピオンは「1位ブレイクすると思ってた」、毎回優しく丁寧にアドバイスをくれた先輩は「GF感動した。オープン大会のライバルとして頑張ってこ笑」と。3個上までの全部長がメッセージをくれたわけだが、2個上の部長が自身のアウトロとスタ爆を送りつけてくるとは思っていなかった。もちろんお世辞かもしれない。お世辞じゃなくとも、間違いなくうぬぼれている。まだまだ先輩たちは遠い。それでも、憧れて、その背中を追い続けてきた人からそんな言葉をもらったのだ。心に響かないわけがない。多くを教えてくださり、本当に、本当にありがとうございました。
ディベートをやめるといっていた心友がUTDSの同期にいる。ブレイク落ちしても、他の同期と一緒に決勝に駆けつけてくれた。決勝後、ICUの帰り道。彼と歩く。いつも通り何も考えずに。ディベートの価値観が変わったという話をしながら。ディベートは芸術だ、と。あれだけ格好つけたスピーチをして、少し後悔もある。それでも多くの人に自分のスピーチを聞いてもらうのは幸福だった。やはり、人の心を動かす瞬間がたまらない。だからディベートをしているのだろう。

〇虚構の話
部長に就任して半年が経った。ここまで美しい話を書いてきた。でも世界はそう美しくないのかもしれない。冷静に、こう感じたのはいつ以来だろう。美しいと信じたかった。
UTDSの同期がブレイク落ちした時の罪悪感すら混じる悲しさは、筆舌に尽くしがたい。ジェミニに向けて一生懸命に努力する姿を目の当たりにしていたのだ。当然かもしれない。TDを務めた、敬愛する先輩の 「おめでとう、どうでもいいけど。」という言葉。世界を思い出させる。AC1人は言う。ガチだった自分を失ったと。UTが勝ったと。勝者がいれば敗者がいるのだと。別の一人は言う。もう大会には出ないと。他人に勝手に勝ち負けをつけられると。Oct Finalで当たったHit-Uのディベータ―のFBポストを読む。別のある人と夜に長電話をする。1人、また1人とこうして同期が減っていく。その度に自身に問う。これでよかったのか、と。このコミュニティにいる人間に良い影響を与えられているのか、と。
ジェミニという大会は美しかった。でも優勝という結果そのものは想像したより冷めていた。
強さを求めることと、開かれていることはコミュニティとして両立可能なのだろうか。もし両立可能じゃないなら、どうバランスを見出すのか。あるいはバランスを見出す必要はあるのだろうか。答えは未だ見つけられない。単純に。でも、心のどこかにこの問いを常に持ち続けたい。
人間のすべては虚構である。「万物の尺度は人間である」と言い放ったプロタゴラス。彼がソフィストだったのは偶然ではないはずだ。そして自身もソフィストを目指す。虚構とはネガティブな意味を内包しない。人間が何かに価値付けし、信じることは生きる上で必要だ。それをPhilosophy Openでも確認したはずだ。
今日もUTDSは続いていく。いつもどおり。ジェミニ直後の火曜日に2年生が14人も来てくれるなんて誰が想像できただろう。やはり自分はUTDSのことが大好きだ。世界は美しいと信じながら、またこうして前向きに生きていく。疑い続けながら、信じ続けるしかないのだ。信じるからこそ、人生は余裕なのだから。

ふぅ。書くのは楽しい。でも感じることすべてを言語化するのは難しい。そして、答えなんて永遠に出なさそうだ。残りは12月まで取っておこう。

A life is not important except in the impact it has on other lives.



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