マレーシアディベートオープン
こんにちは幸松です。みなさん地震は大丈夫でしたか?ICUトーナメント&合宿キャンセルなどハプニングがあったものの、UTDSの部員は全員無事で、それが何より幸いです。
こんな状況下いつも通りにブログを更新するのもちょっと気がひけますが、いつまでも仕事を先延ばしにしておくわけにもいかないので今日の更新にいたりました。
今日は金親よりマレーシアディベートオープンの報告です!かなりの長編となっていますが、金親らしいユーモアもありなかなか読みごたえがあります^^それではどうぞ↓↓↓
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先日マレーシアで行われたマレーシアディベートオープン(MDO)について、金親が報告します。
この大会は3月4日から3月8日までマレーシアのMultimedia Universityで行われた大会で、今年のWUDCでMainブレイクした人や、かの有名なローガンが参加したりとかなりレベルの高い大会でした。この大会にUTDSからは
TOKYO A(井戸4年、田中3年、石河2年)
TOKYO B(金親1年、井上1年、木村1年)
ジャッジ 金沢1年
が参加しました。
結果はTOKYO A 5勝
TOKYO B 2勝
でTOKYO Aはスピーカーポイントが足りず、惜しくもブレイクできませんでした。では日を追って様子を報告します。
3月3日に成田からクアラルンプールへ。空港近くのホテルに泊まりました。僕にとって初めてのマレーシアは新鮮で、ホテルの近くの大衆食堂のような所で夕食を食べたとき、東南アジア独特の活気のようなものを感じました。
3月4日にはクアラルンプール空港から10時30分のコミが用意したバスに乗り大会の参加者が泊まるホテルに移動・・・のはずでした。コミの人によると、バスが一本なくなったそうです。なぜかは知らないけど。結果空港で2時間ほど待つことに。でもコミの人も申し訳ないと感じていたらしく、積極的に話しかけてくれて結構仲良くなりました。ようやくバスが来て、バスに乗ってホテルに着き、ジャッジテストのためのモデルディベートを見学。このときすでに一時間ほど押してたんですけどね。その後、ディベーターは解散、ジャッジの金沢はジャッジテストのための面接を受けることに。話によると、金沢が80人中50番目くらいに面接したのですが、そのときすでになんと0時!を回っていたとのこと。本当にお疲れ様でした。もうちょっと時間とか約束とか守って欲しい・・・
3月5日朝起きると部屋には見かけぬ一枚の紙が。この紙によると7時45分出発予定のバスが7時30分出発に変更になったとのこと。そんなの昨日のbriefingの時に言えよ・・・とか思いつつとりあえずバスに乗り込み大学へ。ORはこれまで見たこと無いほど多様な人がいて、独特の雰囲気に包まれていました。そんな中第一ラウンド開始予定時刻の30分遅れくらいで、予想よりもチーム数が多いので1ラウンド増やして全7ラウンドやると発表。ディベーターから拍手の嵐!そんな中僕は今日ホテルに帰るの何時になるのだろうとか考えてました。第一ラウンド、第二ラウンドを終えて昼食になったのが4時、第三ラウンドが終わったのは8時すぎでした。ここで見かねたDCAから、明日予定を早めて4ラウンドやることにして今日はこれで解散にしようという提案が。ディベーターから巻き起こるブーイングの嵐!結果この提案はあっさり取り下げられました。海外ディベーターのディベートへの執念のようなものを感じました。みんなディベートが本当に好きなんですね。そして第四ラウンドへ。終わったのは11時くらい。まあ当然こうなりますね。ホテルに帰ったときにはすでに0時を回っていました。本当に疲れた・・・
3月6日。この日は30分程度の遅れと時間通りに進み、昨日までのようなハプニングもなく進みました。まあ、motionを出し間違えるというハプニングはありましたが。何より印象に残ったのは衝撃的なことに第七ラウンドで対戦相手のチームから、私たちは棄権する、って言われたんですよ。詳しく聞いてみると、第六ラウンドでPOIにたってはいけない時間にしつこくPOIをたっていてマナー違反だという理由で負けにされるということがあり、そのことへの抗議として棄権するとのことでした。しかし頑張って交渉した結果ラウンドをやってくれることに。しかも、一人しかmotionを写しておらず、やりたい順番とか考えていなかったのでこっちが一番やりたいやつをやることに。彼らは軍人学校の学生で軍人の制服を着ているし、分厚い本持ってるし、抗議のために棄権するって言ったりと初めはかなりいかつい印象を受けましたが、あとで話してみるとすごくいい人で、一緒に夕飯を食べたりとかなり仲良くなりました。
そしてお楽しみのブレイクナイト。みんなで写真撮るだけでノリで盛り上がったり、ボウリングでガーター出しても盛り上がったり、facebookのアカウント交換して盛り上がったり、とにかく楽しかったです。そんな中お待ちかねのブレイクアナウンスメント。日本からはWASEDA(新倉さん、北台さん、内山さん)が14位ブレイク。綾部先生、ICUの関、一橋のマックスが見事ジャッジブレイクを果たしました。本当におめでとうございます。
3月7日。この日はOF、QF,SF,GFを見学しました。どれもこれもめちゃくちゃレベル高く、しかもかなり早口な人が多く聞き取るのが大変でした。(早口で聞き取りにくいという点ではあまり人のことを言えませんが)それでも本当に本当に上には上がいると痛感しました。GFは別会場なのでfully formalな服装で会場へ。fully formal と言えばやっぱりあれですよね。男性ならスーツにネクタイをビシッと締めて、女性なら華やかなドレス着て、って感じですよね。実際日本からの人はネクタイを自力で締められない4年生を除いてそんな感じでした。そんな中周りを見ると、ノーネクタイ、ノースーツ、ワイシャツ腕まくり、見たいな人が多いわけですよ。こっ、これがマレーシアのfully formalか・・・と軽くショックを受けました。その後バスに乗ってGFが行われる会場へ。会場では空腹に耐えかねてフライングしてパンを食べたり(オイッ)、マレーシアの伝統舞踊を見たりしてついに、GFが始まりました。まさにふさわしい超ハイレベルな戦いで、それを生で見ると本当に感動しました。スーツをビシッときめたローガンのスピーチは本当に格好良かったです。優勝したPOWERPUFF GIRLSはWUDCでMainブレイクを果たした人や、スピーカーポイントで惜しくもブレイクに届かなかった人がいて、まさに世界トップクラスでした。GF,チャンピオンシップディナー終了後はみんなで記念撮影。TOKYO AもTOKYO Bもブレイクを果たせず悔しい思いをしましたが、貴重な経験だったと思います。
3月8日。この日は朝6時のバスに乗ってクアラルンプールに行き、そこからみんなで観光を楽しむ予定でした。そんななか僕、木村、石河先輩が目覚めたのは朝8時、バスはとっくに出発していて、一緒に観光する約束をしていた人たちの部屋を見るともぬけの殻。すでにみんなチェックアウトしてちゃんと時間通りにバスに乗ってしまったみたいです。僕たち3人は急いでホテルからタクシーでバスターミナルへ、そこからクアラルンプールにいきました。何とかみんなと連絡を取ろうにも取れず、結局落ち合うことなくバラバラになって観光することになりました。本当に迷惑をおかけしました。クアラルンプールで行ったのはKLCCというクアラルンプールを象徴するツインタワーや、国立モスクなどです。どれも圧巻という感じでした。特にモスクはこれまで足を踏み入れたことが無く、礼拝の場らしい神秘的な雰囲気が漂っていて興味深かったです。とまあ一通り観光がすんで空港でみんなと合流、みんなで無事帰国しました。
ではここからはディベート面について感じたことを書いていきます。
今回僕たちTOKYO Bは2勝という不甲斐ない結果に終わってしまいましたが、何よりも悔しいのは決して勝てない相手ではなかったのに負けてしまったことです。この敗因は主に次の三点だと思います。
一、motionとのlinkageが薄い。またはlinkageをきちんと示しきれていない。
二、相手の議論にきちんとengageしきれていない。
三、きちんとgoalにつなげられていない。
の三点です。
では以下具体的に
一、motionへのlinkageが薄い。linkageを示しきれていない。
については、「西洋諸国はパレスチナのイスラエル入植地への攻撃を正当なものとして認識すべき」というmotionのgovをやった第四ラウンドに致命的でした。西洋諸国がパレスチナ問題を生み出したから、西洋諸国にその責任があるという話をしたのですが、この場合入植地が争点となっていて、パレスチナ問題それ自体が争点になっているわけではないですよね。このため、このmotionに関係ある話ではないと言われてしまいました。もっと、入植地それ自体に関わることを話す、ないし入植地と絡めて話すべきでした。
二、相手の議論にきちんとengageしきれていない。
これはだいたいの負けラウンドで言われたことですが、それが一番の敗因になったのは「改宗を結婚のするときの義務にすべきではない」というmotionのoppをやった第一ラウンドでした。このとき、個人の幸せという点ではcloseで上回るか、タイだったのですが、govが提示してきた多文化主義を進めるという話にengageしなかったため、最後まで残ってしまい負けとなりました。特にAsianではwhipがきちんと細かいところやそこまで強くないところにまでengageすることが大切だと感じました。
三、きちんとgoalにつなげられていない。
これが主な敗因となったのは「全体的に食料が不足している国はバイオ燃料競争に加わるべきではない」というmotionのgovをやった第二ラウンドでした。ここで、バイオ燃料用の作物をなくして食料としての作物を栽培すれば食料の供給があがって飢餓に苦しんでいる人が救われるという話をしたのですが、増えた食料がどのように人々に行き渡りそのような人がどれだけ救われるのかということを説明してないということで、こっちのargumentが立たず、負けとなりました。この場合飢餓で苦しんでいる人を救うというgoalならきちんとそこまでの道筋を明確に示すべきでした。
この三点を一言でまとめてしまうと、ディベートが雑になっていたのではないかという気がします。つまり、とりあえず関係のありそうなことを話して後はジャッジに投げてしまっていたと感じました。きちんとmotionのcontextを考え、moitonそれ自体を肯定ないし否定するにはどういったことを言うのか。それがどれだけ良いないし悪いことなのか。ここまできちんと説明し、ジャッジを説得するというディベートの基本を改めて認識させられました。
今回のMDOは僕にとって結果を残せずかなり苦しい大会となりましたが、ここで得たものを何とかして次に生かしたいと思います。そしてパートナーとして組んでくれた井上、木村、ジャッジとしてわざわざマレーシアに来てくれた金沢、そして練習のみならず現地でもいろいろ面倒を見て下さったTOKTYO Aの三人の先輩方に改めて感謝します。本当にありがとうございました。そしてMDOを支えてくれたコミの方、詳しい個人コメントを下さったジャッジの方、そして仲良くしてくれたディベーターの方にこの場を借りてお礼申し上げます。
コメント
自分が国際大会に行った時と感じたことが違ってるのがまた面白かったよ^^
音源聞かせてもらうわ。じゃ、また。