WUDC2019感想文by 有元さん〜ご卒業おめでとうございます!〜

続きまして、WUDC2019の感想文を有元さんにお願いしました!
有元さんは栗原さんと共に今年のWUDCに出場され、日本最高記録であるESL Grandfinalistになられました。きっと多くのディベーターが感動されたに違いありません。
それではどうぞ!



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こんにちは、2019年1月、ケープタウンで開催された世界大会に出場いたしました、4年の有元万結です。
ブログ担当から依頼を受けた時からしばらく時間が経ってしまい大変ご迷惑をおかけいたしましたこと、お詫び申し上げます。色々思いの詰まった大会でしたので少し長くなりますが、もしお読みいただけたら幸いです。

始まるまで
ワールズはずっと私の夢でした。世界で自分がどれくらい通用するのかを試したかった、日本の記録を出したかった、いろいろな理由がありますが、私は一年生のころからずっと、世界大会に一度は挑戦して、あわよくばオープンブレイクしたいと考えていました。そして、ディベート生活も(また大学生活も、かもしれません)その目標に向かって、整理し、投資し続けました。
準備は本当に一年生のころから、地道な所から始まったと思います。日本人だとあまり最近は行かない人も多い海外大会に積極的に出ました(ABP, NEAO, ATDO, ICUT, TDO, UADC, HKDO, NEAO, MDO, ICUT, UADC, TDO, NEAO, ICUT, UADC, SIDO, ABP, NEAO, HKDO、という感じです)。そこで努めたのは、結果を出すことはもちろんですが、それよりもちゃんと海外の人とのコネクションを作ることです。ちゃんと名前を知ってもらい、あわよくばうまい、いい人、頼りがいのある人、守りたい人とちゃんと認識してもらうこと。
そうこうしているうちに四年になり、対外的認知度も十分に高まったと思ったので、出場してみることにしました。

準備
正直に申し上げますと、個人としてのワールズのための準備には非常に悔いが残ります。パートナーの栗原はとてつもなく頑張っていました。慣れていない海外大会にたくさん出場し、夜の弱い私のわがままに付き合って毎朝7:30から本郷のサンマルクカフェでプレパしてくれて、本もたくさん読んで。一方の私は、いわゆる燃えつき症候群でしょうか。何のためにやっているのだろう、何をしているのだろう、という漠然としたもやもやした塊がずっと心の中にあり、練習にも精が出ず、絶対やらなければいけないと知っているスピーチの改善であったり、リサーチであったり、何もできず、すべてが不十分でした。
人は頑張れないときがある。私にとってそれは周りに人がいないときでした。ワールズへの挑戦はだんだん孤独を極めていきました。誰も他に目指していない道でただ成果だけ求めて、自分のためにやる練習は本当に意味を見いだせなかったのでしょう。

そうこうしているうちに、大学最後の学期は過ぎていきました。
そしていよいよ本番を迎えます。

本番
夏のケープタウンは晴れ空で、赤い大地が大陸を感じさせる新鮮な地でした。
飛行機でたまたまThe Great Debatersという映画がかかっていて、それを見ながら来ていたのでテンションはマックスに高かったです。
そのような感じで、大会二日目までは結果だけ見れば調子が良かったです。一日目は2位、1位、3位とまずまず。二日目の最後のラウンドで4位こそとってしまったものの、負けた相手はのちに優勝したチーム。強いところにも結構当たっていた…
ただ、その中身はコントロールのとれたものではなく、思ったようにスピーチできない。思ったようにプレパ進まない。ケースが浮かばない、エクステンションがわからない。負けたけどなぜ負けたかわからない、勝ったけど絶対勝ってない。いろいろずれが生じていました。
そこで気が緩んだのかもしれません。三日目の最初の二ラウンドはスピーチもケースも順調に行き、これはもしかしたらいけるのではないかと思わせられるものでした。一番大事な最後のラウンドでOG。モーションもそれほど難しいやつではない。ジャッジも知っている人。
そこで私が道を間違え、見事に迷子になりました。プレパは結局5分。栗原はそれにしてはいいスピーチをしてくれましたが、やはりいつも通りではない。私も巻き返しを図り、なんとか取り戻したかなというくらいには行きました。

でも、結果は4位。Esl2位ブレイクを見た瞬間、となりにずっと尊敬しているアシーシュがいたけど笑顔が作れませんでした。喜びなよ、といろいろな方に言ってもらいましたが、ははは、と交わして、ブレイクアナウンスメントが終わるとすぐに帰って、大学生活で一番泣きました。頑張り切れていないふがいない自分なのに、涙が止められず、夜中の三時くらいまで部屋で泣いていました。

後から聞くと、最後に入ったラウンドは16点のチームの部屋でした。あと1点あればブレイクできた。ずっとオープンバブルの部屋を通過し続け、また負けたチームはすべてブレイクしていました。あと一歩だったからという悔しさもありますが、詰めの甘さが出た結果だったのでしょう。

これを引きずり、最初の二つのESLのラウンドではあまりいいスピーチができませんでした。なんとか勝っていきましたが、ケースでぎりぎり通る感じ。もやもやしながらの通過でした。

決勝
そして最終日。慶應のグラファイを聞きながら、ひたすら手汗が止まりませんでした。そしてようやく私たちの論題が発表されることになり、呼び出されました。
論題は南アフリカについて。アパルトヘイト終了時に、融和的政策をとってしまったことをRegretするという趣旨のものでした。

南アフリカについては、事前にめちゃくちゃ勉強していました。3年分のEconomistの記事、1年分のForeign Affairsの記事、数個のNew York TimesとBBCの記事を印刷してきて、バインダーに100ページくらい。CGだったので、これを15分間復習するプレパをしました。
そして自分のスピーチの段となり、立ち上がった時、前の観客の人が本当に大きく拍手してくれました。それに応えたい。アパルトヘイトで残った不平の不条理さを訴えたい。みんなに聞いてほしい。息を深く吸ってスピーチを始めました。
そこでは自分の人生で一番いいくらいのスピーチができました。ディベートがこんなに楽しかったのはいつぶりでしょう。自分の声以外、広い会場は物音ひとつなし。ポイに立つ人がいても、それを止める。そしてひたすら、いかにいまだにアパルトヘイトの傷跡が残っているか、いかにそれが個人を殺しているか、なぜそれを30年前に予見できたはずであるか、それをしなかったのがなぜ罪深いか、語る。
終わった瞬間の拍手は今でも忘れられません。

その後の騒動について一言。
日本でどういう言説が流れているかわかりませんが私が聞いていることを書きたいと思います。騒動の発火点はタブの方の黒人ジャッジに対する心無い一言であったそうですが、発端はもっと前にあったと聞きました。南アフリカワールズの運営チームは、白人の多いケープタウン大学の方が中心でありました。その中に当初は黒人もいたのですが、準備が進むにつれコミのメンバーから降ろされたとか。またコミが当初アフリカのチームに割引を約束していたにもかかわらず、それが保護にされたとか。いろいろなうわさがあります。どこまで何が本当か私にもわかりませんが、それなりの正当な理由があってプロテストをしたのではないかと思います。にもかかわらず秘密の決勝をやるというアジュコアの判断は、焦りから仕方がなかったかもしれませんが、少し残念なものではないかと思わされます。

結果は私の部屋で日本から持参した梅酒をみんなで飲んでいた時に発表されました。
負けていましたが、その時にジャッジしていたテルアビブのアヤルから、全ジャッジの総意で私がラウンドのベストスピーカーだったと聞かされ、少しうるっとしました。

全体的感想
私のディベートの旅はこれで終わります。(今後もジャッジはしますが、ディベートはもうしません。)長かったですが、いろいろな方に支えてもらって、最後に本当に小さな一歩ではあるけれど、日本の世界大会における記録を更新できました。
大会への過程では、本当にたくさんの人に応援していただきました。溝上先輩や一橋の世永先輩はずっと練習を見てくださり、アドバイスも継続的にくださっていました。また、UTDSのOBOG会では募金をさせていただき、渡航費の援助をしていただきました。このように、支えてくださった方々には感謝してもしきれません。個別にいただいたメッセージの一つ一つ、頑張ってね!の一つ一つは私にとって何よりも大きなこの大会の収穫です。ありがとうございます。
皆様のご期待に応えきれず、非常に申し訳なく、残念ですが、私は本当にうれしかったです。

将来出る人に向けて一言あるとすれば、ワールズ(に限らないのですが)はディベート技術以外のところが多い大会です。ディベート技術は前提です。でもその中で、応援してくれる人がいるかいないか、ホームかアウェーかでパフォーマンスは変わってくると思います。海外大会に参加していて思ったのは、みんなが意外と日本と日本人を知らないということです。知らない人は応援もしたくないし、アドバイスの質とかもおろそかになりがちになる。ACのプロテクションも入らない。だから日本人にとって、海外大会は常にアウェーの状態で参加するものになっていて、さらに参加しづらくなるのだろうと思います。
なので、ワールズに長期的に出たい人はホームを海外に作る事。たくさん友達を作り、環境にも慣れ、楽しめるようになる。これが一番大事かなと思います。

あと、一つあるとすれば、常識を信じないことが大事だと思います。私の失敗の一つはできない、無理だとあきらめてしまったことにあると思います。私にはできると常に思い続け、人の意見は批判的に聞くことが大事だと思います。「オーソリ」は超えるものです。「常識」は挑戦してかかるものです。こういうマインドセット的な側面をぜひ持つといいと思います。

ワールズ、私にはできなかったけど、きっとだれか、日本からメインブレイクする人が現れると願います。挑戦する方がいましたら、心から応援いたします。

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