会長の4年間~~1年生~~

※これはあくまで秋T感想文です。

Ⅰ.入部~1年生の春セミ

俗に会長の一番の黄金期だと言われる時期です。数多くの伝説(ポカリなど)を生み、一番魅力的なスピーチをしていた頃です。未だに僕はこの頃に戻りたいです。この頃みたいなスピーチをしたい、です。はい。なので、しゅんが秋Tの時ツイッターで、「会長なんか普通のディベーターみたいでつまんなくなったな。」みたいなことを言っていましたが、普通のディベーターに成り下がってしまったのはもう3年も前のことなので、指摘は間違っています。当の昔に世の中に妥協してしまっていたからです、ハイ。ファンも今よりは多かったと思います。俺のスピーチをすごく高く評価してくれてた外大の佐藤君には僕は未だに頭が上がりません。今でこそネタになってますが、当時本当にちゃんと面白いって言ってくれて見にまで来てくれたのは彼だけでした。あと、小野岡も当時は組もうって言ってくれていた気がします。憧れのディベーターから少し評価されるというのは、やはり喜ばしいことでした。
今となっては1年生を指導する会長

そもそも、自分より英語の成績がいい連中を全員下手くそな英語でぶちのめしてやろうという動機から入部した若き日の彼は、数々の爆笑をかっさらっていきます。そのパッショネイトなマナーから、「亀井さんに似てる」「こーきさんに似てる」と本質と全く異なったアドバイスを受け、次々と迷走していきます。ESUJで亀井さんが爆笑とともにUTを倒したラウンドへの憧憬は未だに覚えています。当時ディベートに関しては、いかに暴れるか、いかに高いカロリーを消費するかしか考えていませんでした。楽しくてしょうがなかったですね。しかし、勝てない。勝てない勝てない。まあこの勝てない時期は3年のプレオーストラルでくわとふなさんと組んだ時と、今回に至るまでずっと続くんですけどね。ICUTのトライアウトで最下位になり、出られる大会も減ってきた頃からいよいよディベートへの鬱が加速していきます。部から干されたという意識や、先輩のエデュケのリソース配分は根本的に間違っていたという思いや、オーソリ嫌い英語嫌いリサーチ嫌いディベーター嫌い自大学の同期嫌いなどの様々な思いは主にこの時期に感じていた疎外感や焦りが元になっています。そうやって、佐野さんやら富永さんやらが、一生懸命Tokyo Aを育てていた頃、自分みたいな部から見放されたクソビンディベーターである自分のディベートをジャッジしてくださっていたのが金親さんでした。「会長は、マナー!!」というリフレクに象徴されるように、「会長はいいこと言ってるんだけど英語が謎なんだよね~。」と言われていました。その通りのアドバイスです。未だにそう思います。恐らく、僕がジャッジをやっていたとしてもそう言うでしょう。しかし、そのアドバイスこそが自分の当時の成長を妨げていたのだと感じます。


    ジャッジのリフレクを一切聞かなくなった。ラウンドをすれどもすれども、根本的に自分の言ってることを理解してない上に、アドバイスを求めたとて、英語が伝わんないとしか言われなかったわけです。そんなクソにでも分かるようなアドバイスを何百回言われても、「もうしっとるわ!うっせ黙ってろはげろオーソリ」としか思いませんでした。未だに僕はあんまり人のRFDもリフレクも、今度は自分である程度出来るようになったから聞かなくなったのですが、とにもかくにもこの時期の影響は非常に大きいです。

    自分が勝てないのを英語のせいにして諦めた。そもそも、下手くそな英語で勝ちたかったわけです。英語が上手くなって勝つなんてそんなことは本末転倒な訳です。自分にとっては。おまけにそもそも中高浪大もう10年英語に携わってますがさっぱり上手くならない訳です。そんなものを上手くなれと言われたところで、マグロに100kmマラソンさせるくらい無理な訳です。まぐろって書いて普通にお寿司が食べたくなってきたのでそろそろ金親さんおごってくださいませんか。

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