WUDC感想文 written by 黒木先輩(^^)/
Goedenavond!!オランダからこんばんは、まるるですー!
まるるの記事も残すところこれを入れてあと三本。そんな今回はWUDC感想文を修士1年の黒木先輩に書いて頂きました!!!黒木先輩は、いつもお忙しいところUTDSの提供ジャッジとして大会に来てくださるだけでなく、練習の時も頻繁に駒場まで来てくださるような本当に後輩思いの優しい方です。また、ディベートに留まらず研究の方でも邁進されており、Tabulation softwareの操作、写真などとっても多彩で優秀な先輩なのでございます…。まるるにとってTabulation softwareの使い方を懇切丁寧にわかりやすく教えてくださるなど個人的に非常に恩義のある方でもあります。そんな凄い黒木先輩に、WUDCの感想文を書いて頂きました!!先輩の真摯でストイック、そして優しいお人柄がにじみ出る示唆に富んだ文章となっていますので、ぜひお読みください(#^.^#)
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こんにちは、あるいははじめまして。UTDSの新参者の黒木です。ICUDSを裏切って大学院から移籍したためにどちらが本来のアイデンティティなのかわからないコウモリのような存在になってしまった感があります。ともかく、今回、私は四回目となるWUDCに参加しました。ジャッジとしては三回目の参加、それにもかかわらずジャッジブレイクは果たせなかったので何も偉そうに言うことはできません。ただ、それでも7ラウンドにわたってチェア(ある部屋にいる複数人のジャッジの中でリーダーになる人のこと)をできたので、少しでも還元することがあるのではないかと思って書いてみます。だからこれはとてもすばらしいジャッジをするための手引ではありません。自明なことばかりかもしれませんが、それでも海外の大会でまだジャッジをしたことのない方には多少なり活かしていただける知見があるかと期待します。一方で、国内大会でもまだジャッジしたことがない、チェアをしたことがない、あるいはジャッジブレイクに届かないという初歩的なレベルからのガイドであることも意図してはいません。国内で一般に得られる程度のジャッジ経験はすでにあるものとして、その一歩先、国際大会で無残な結果に終わることを回避する程度のガイドです。その後ろには雑感を書きました。
WUDCで「それなりに」ジャッジするために必要なスキルとしては、a)基本的な日本国内の大会でジャッジするときでも鍛えられるスキルと、b)国際大会に行かないとなかなか試すことのできないスキルの二種類があるのではないかと考えます。また、おまけとしてc)パネルをするときに意識したらいいかもしれないことも書きます。
自身の写真は一枚しか送ってきはらないのになぜか溝神先輩の写真を三枚も送ってこられた黒木先輩。そして謎のネタ写真をたくさん送ってこられた黒木先輩。この真面目系の文章のどこに差し込めばいいのか困り果てる〇るである。 |
a) 国内でも鍛えられるスキル
a-1. 基本的なジャッジ力
前述の通り、基本的なBPジャッジができることは前提条件です。日本国内のBP大会で安定してチェア・ブレイクできないのであれば、それは基礎的なBPのジャッジングの仕方がわかってないことが間違いないので埋め合わせる必要があります。本稿の扱う範囲からは外れるのでここでは深入りしません。 http://www.jpdu.org/?page_id=4862 などすばらしい資料があるので参照してください。ただ、三点ほど補足します。
a-1-i. 比較軸を明確にする
かならずしもいつもできるわけではないですが、一番クリアな2チーム間の比較は「OGは……を言っていて、CGは……を言っていた。その上で……の観点でOGが上回った。その理由は……」というような形です。この「……の観点が」というのが抜けていて、だらだらと比べていくのは本当の意味で比べているとは言えないし、クリアでない説明です。この比較にはたとえば「logicの強さ」とか、「エンゲージ」とかのBP的なコントリビューションを比較する上での観点が入ります。ただ、こういった安易なマターの質の比較はわかりやすいのですが、ディベートの流れに反する順位付けになる可能性もあり、以下のClashと適切に融合することが大切です。
a-1-ii. ContributionとClashの融合
上のようにラウンドへのcontributionを比較するのはどのチームの間でもそのまま使えます。しかし、OGとOOなどサイドが違う場合は単純に「……という流れだったから……がクラッシュになった。このクラッシュでOGが勝った。その理由は……」というふうなAsian的なジャッジもできます。この二つの比較の仕方を適切に使い分け、また融合させることでよりわかりやすく説得力のある理由付けをすることが重要だと考えます。その選択によっては順位自体が変わってくることもありえます。OGとOO、あるいはCGとCO(この場合はそこまでのディベートの流れを踏まえる必要あり)のように対面しているチーム同士の比較であれば簡単にClashベースの比較を用いることができます。対角線ではClashだけで見るわけには行きませんが、それでもClashの観点を必要に応じて用いるとよいでしょう。ConstructiveなマターがそれぞれどのClashに貢献したかで重み付けをしたり、クラッシュしているところはクラッシュで見て、ほかのマターはほかの観点で見て総合評価することもできます。ただしこの場合はPOIでOpening
Halfの側がエンゲージするチャンスがあったことは最低限確認しておくことが必要です。同じサイドの場合でも、ややトリッキーになりえますがやはりClashをidentifyしてそれへのcontributionを考えたほうが、単純に説明のよしあしやインパクトの大きさで比べるよりも合理的な説明になることがしばしばあります。
a-1-iii. メタジャッジング(メタディベート?)
特にBPは人それぞれ見方がばらばらです。そしてそれぞれがけっこう合理的な理由に支えられていることが多いです。その「どちらの理由がより強い理由か」を比較するのはとても大事です。そのメタなジャッジングにも細分化すると二種類あるような気がします。
一種類目は大枠での相対的重み付けに関するものです。たとえば安直な例を挙げれば、「CGとCOではconstructiveなマターはCGのほうが優れていたが、COはOGへのエンゲージが優れていた。どちらを重視するかで順位が変わるが、今回はエンゲージのほうがより重要だったと考えた。その理由はこのラウンドでは1位になったOGが一番強いマターを出していて重要で、それで……(実際はもっと具体的に)」。
もうひとつのメタジャッジングは単一の事柄の評価に関わるものです。たとえば「OOの……のポイントがCGによって崩されたと考えるとCGが上回り、そうでなかったと考えるとOOが上回る。この点についてはGWが……というexampleに基づく反論をしていた。このexampleをどのくらい高く評価するかが順位の分かれ目になった。今回はこのexampleがそれほど評価できないとしてOOを勝ちにした。その理由は、説明が……にとどまり、このラウンドで出ていたほかのexampleと比較しても……」。
言葉を変えて説明すると、たとえばOGが一位でOOが二位という順位と、その逆の順位の両方から出発して、両者の見解が相違する地点がどこなのかをピンポイントでとらえ、その地点での判断について考えるのがメタジャッジングだということです。このように、一本道でどちらが勝ったかを決め付けるのではなく、両方が勝つ可能性があった中で、その可能性が単一の順位に収束するか、あるいはvoteで割れて収束しない際の分かれ道がどこにあったか、なぜその分かれ道で一方の道が勝ったかまで説明できると一番説得的な説明になります。もちろんここまで理由を詰めるのは困難なことが多いですが、なるべく心がけてやるとよいジャッジになれると思います。実際には時間もないので私も十分にできませんでした。今後の課題です。本来ディスカッションはこのようなメタジャッジングをするためのもののはずで、順位が相違したときはこのように背景にある分岐点を特定するのが仕事なのですが、のちに記すように少なくともWUDCでのディスカッションでそれをすることは困難です。ですから、なるべく普段から一人で練習しておく必要があるということになります。
a-2. リスニング力
容赦のないネイティブスピードの英語を聞き取れることが必須条件なので、英語学習者にとっては相当に高いリスニング力が必要なことは間違いありません。各種アクセントもあり、さらに一日三時間聴き続けられる程度に余裕を持って聞けなければならないというのは、EFLである(英語圏に滞在したことのない)私にはかなり苦しい条件でした。一年前のギリシャでのWUDC、二年前のマレーシアでのWUDCではどうにか聞き取れはするものの、認知能力をすべて聞き取りに集中しなくてはならず、聞きながら考えることができないためジャッジすることが難しいという問題を抱えていました。要約や評価ができず、情報量を適度に間引いて把握することができないので頭がパンクしてしまうのです。そのためギリシャ以降ほぼ毎日youtubeで数十分はネイティブスピードの動画を見ることを習慣化していたら、今回はだいぶリスニング力が上がったようです。それほどかじりついて聞かなくてもふわっと聞き取れるようになり、聞きながら考える余裕がかなり生まれました。ちなみにディベートの動画はあまり見ていなくて、他のもろもろのスピーチや、趣味に応じて雑学・知識系の動画を見ていました。 リスニング力と言ってもどの程度のものなのか見当がつかないと思うので、参考までに数字を挙げると、2016年3月時点でTOEFL
iBTのリスニングセクションの点数は29点、困難が大きかった2013年ごろには25点くらいだったと思うので、だいたいそのへんのレンジでの変化ということです。
a-3. ラウンド中に考えながらジャッジする
上述したとおりですが、強調しすぎることはないので書いておきます。ラウンド後に考える時間はほとんどありません。ディスカッションを始めるまでに数分しかないので見落としている点がないか確認する程度が限界です。ラウンド中に随時順位を考えていくことは当然ですが、それでは不十分です。フローを取る紙とは別にアイデアだけ箇条書きにした紙を一枚用意し、そこにチーム間の比較をどんどん書き込みましょう。ラウンドが終わった瞬間にそれを見ればそのままoral
feedbackができるようにしておく必要があります。大事なのは、その別紙にはくれぐれもディベーターの話したマターを書きすぎないことです。これは私の反省点でもあります。マターはオリジナルのフローに残して、それよりも比較に基づく理由付けのメモをどんどん作っていく必要があります。それに理由付けを見ればどんなマターだったかは思い出せるでしょう。
めっちゃお洒落な写真!!先輩は昔UTDS Blogの専属カメラマンだったこともある(青木先輩の時代)さすがの腕の持ち主なのでございます。 |
b) 国際大会(特に北東アジア以外の大会)でないと実感しづらいスキル
b-1. 要約力
聞いた話を簡潔に要約する力が国際大会で最も必要で、しかし国内の大会ではなかなか試されないもののように感じました。DLOは4つのアイデアがあって、一つ目は……とごくごく簡潔に順序立てて話せる必要があるということです。当たりまえに聞こえるかもしれませんが、単純に発話量が多いし、いろいろなアイデアをいろいろな表現で投げてくるし、かつストラクチャーの作り方がスピーカーによってまちまちでしばしば捉えにくいため、いくつかにまとめてニュアンスを失わないように要約するのはなかなか簡単ではありません。国内ではストラクチャーが悪いがマターの少ないノービスか、あるいはマターは多いが整理してくれる&話が読める上級生かの二種類で、どちらでも対応は難しくないのです。
もちろんこれは細部に注意を払う必要がないと言っているわけではありません。説明の細かいところも往々にして重要になってきますし、EFLとしては洗練された説明はきっと永遠にできない以上は細部をしっかりフォローすることで丁寧にジャッジしていることをアピールすることは重要です。しかしノートを取れる量には限界があるので、特にcriticalな部分の詳細を記録する以外は十分な説明があったか否かを書き記して、あとは記憶のフックとなる程度に簡略化せざるを得ません。むしろ重要なのは、ミクロレベルでディベートを追うことにとらわれてマクロレベルでディベートを見失わないことです。
具体的には、以下の四段階の粒度でディベートについていくことが必要に感じました。
・詳細に数センテンスレベルでなるべく元のwordingを使って具体的なlogicや描写を追う
・パラグラフ・アーギュメントレベルでの主張を捉える
・スピーチ・ケース全体を貫くフレーミングレベルでの理解
・4チームのダイナミクスをメタに追跡して、そのラウンド全体の流れにおいての各チームの立ち位置を把握するスケール
この各スケールで随時ディベートを追って考えていくことが重要で、目の前のword-by-wordの話にかじりついていると全体が見えなくなってしまいます。ただ、大枠で捉えるときでも可能な限りディベーターの使ったキーワードは再現するよう心がけましょう。
b-2. わからないものをわかる
禅問答かあるいはパルメニデスを逆にしたような見出しですが、これは大事です。すなわち、「わからない」ことを「わからない」まま「わからない」とは言えない。「わからない」と言うためには「わかる」必要がある。ということです。ここで必要なのは次の二段階です。
・自分が聞き取れなかったなどではなくて説明が悪いゆえにわからなかったということに気づく
・「どうわからなかったか」すなわち「どうしたらわかったのか」、さらに言い換えると「こうしたらわかっていたのに、ここができていなかったからわからなかった」というところまで認識する
前者のためにはしっかりとしたリスニング力とていねいなノートテイキングが必要です。ほんとうは言っていたことを言ってなかったと勘違いするのはまずいですから。後者は曲者です。これをするためには、アーギュメントの「イデア」的なものが見える必要があるからです。その上ではじめて実際に説明された内容にどのような瑕疵があるかが認識できます。これは特定の話を期待することとはまったく違います。ある話をするのであれば必然的・合理的に必要となるロジック、結論、ケーススタディーなどを考えるということです。けっきょくここでディベーターの考えたことを包括的かつ批判的にとらえられないと、説明の穴を見つけるどころか圧倒されてしまって評価できません。これがたぶんジャッジとディベートの力量がしばしば相関する理由のひとつなのだと思います。ディベーターとして鍛えずにジャッジだけやっていても、なかなかいいジャッジになることはむずかしい、ということです。逆もしかりだとよく言われますが、それは本稿で議論することでないので踏み込みません。
b-3. ディスカッション力
今回WUDCで一番足らないことを痛感したのがディスカッションを進める力、仕切る力でした。今回に始まったことではありませんが、自分がチェアであるにもかかわらずきわめて頻繁にパネルにディスカッションを乗っ取られることがありました。前提として、WUDCのパネルのレベルはかなり低いことが多いです。Openingが言ってたことをClosingがほとんどそのまま繰り返しているのにOpeningは言ってないと言い張る、主観的介入で勝敗を決める、謎のrole-fulfillment的概念を打ち出してくる、などなど挙げればきりがありません。それでも順位の不一致が一箇所二箇所程度であれば論点を絞れて比較的楽なのですが、三人以上でジャッジすると高い確率でだれか一人は順位を一位四位逆にするくらいの勢いで割れて苦労します。その状況で話を整理して、おかしな順位はどこがおかしいのかを突き止めて論破してディスカッションを進めていく必要があります。これだけでも非常につらいですが、さらなる問題はわけのわからない理由を極めて速い英語でしゃべってくるものを即座に打ち返せる必要があることです。予測できるような見解の食い違いではなくて、まったく斜め上の変な順位と変な理由にすばやく対応するのは困難で、どう返すべきか頭をひねらなければならないことがしばしばありました。その結果なのかそうでないのか、もう一人のパネルが先に勝手にしゃべって反論ないし賛同しだし、ディスカッションが自分のコントロールを外れてしまうことがありました。その応酬もまたどうも理由付けが変(仮に自分のランキングに同意してくれるパネルであってもその理由は妙なことが多いです)なので、いったん始まってしまうとよけいについていけなり、止めるのも困難になります。
このような事態になる理由が単に英語面でついていけないことによるものなのか、あるいは有色人種でかつ幼く見られがちな風貌であるために舐められているのかは定かでありません。まあおそらく両方だと思いますが。結果としてディスカッションに収拾をつけられないことがありました。そうするとほかのパネルはただ適当なことを喋っているだけでディスカッションの進め方の見通しもないし、妥当な論点整理もしていかないので、そのままではまったくまとまらないのです。特に今回は15分の時間制限が厳しく、ディスカッションの失敗は納得の行かないvoteに直結してしまいました。もちろん議論を尽くした結果として平行線に至ってvoteをするのはかまわないのですが、相手方の意見がどういう根拠に基づいていてどこがデッドロックになっているのかも把握しないままvoteしてしまうとディベーターへの説明に非常に苦労することになってしまいます。
このような厳しい環境でのディスカッション力は日本でジャッジをやっているだけでは絶対に練習できないものですし、弱みとして気づくこともないでしょう。発話の瞬発力は英語学習者がかなり不得手とするところで、それをすぐに解決する方法はわかりません。英語で喧嘩でもする経験を積んだら強くなれそうですが……。
c) パネルとして意識するといいかもしれないこと
そろそろ面倒になってきたので箇条書きにします。
・説明の粒度を使い分ける。合理的なこと、チェアと見解が一致することを言うときはそれほど深く踏み込む必要はない。議論を深めるべきタイミングかどうか様子を見ながら詳しいdetailや比較に踏み込む。
・クリアに話す。結論を支持する理由を簡潔に言う。
・チェアがどう議論を進めたいかを察する。
・チェアにoral feedbackで使えるマテリアルを提供するつもりで話す。合理的な比較の軸をくれるとけっこううれしい。
・食い違うときはdefendする必要もあるだろうが、対立する順位付けの背後にある理由付けを急いで検討してメタの比較に持っていく。
・ほかのパネルがまともで言うことがなくなる心配はたぶんしなくていい。もしそんな事態になったらたぶん悲観したほうがいいです。というのは、パネルを二人付けるときは上位のパネルと下位のパネルを付けるので、自分が上位のほうになっていればもう一方のパネルはたいしたことはないのです。逆にもう一方のパネルがいい感じなら自分が下位だということで……はい。
雑感
過去に二回もICUDSのブログに記事を書いているのでまずはそちらをどうぞ。
もうすでに5年近くディベートに関わってきて、まあここ最近はもっぱらジャッジで関わっている気がしますが、それでも大学院生になってまで時間を割いて関わってきて、思うことはいろいろとあります。この五年間で学んだことはいろいろあって書ききれる気はしません。でも一番大きいのは"know
thyself"ではないかと思います。自分がどこまで能うのか、そしてどこからは能わないのかを見るにはディベートはなかなかよいフィールドなのです。結果が明白に、かつ他人や過去の自分と比較可能な形で突きつけられるからです。理屈としてはスポーツとまったく同じですが、しかし身体的能力のかわりに知的能力で競うものはそれほど多くないのではないでしょうか。そこで気づいたのは、自分はディベートを含めたものごとを「それなりに」はできるが、卓越することはできないのだということです。五年目にしていまさらすぎるし、2014年の記事を書いたころにもわかっていたことだし、もちろん努力が足りないと言われればそれまでです。それは認めます。でも、いったん自分のことを棚に上げて周りの人を観察すると、たしかに卓越している人は努力している一方で、血がにじむほど努力していても残念ながら結果が伴ってない人もいることに気付かされます。それに何より、上を見るとあまりに差が大きすぎて希望をもらうよりも無力感に襲われるから、むやみに夢を持つよりも自分なりに一歩ずつ進むべきなのかなと思ってみたりもします。
ここは優秀な人たちの多い界隈ですから、ディベートをはじめてすぐにばりばり活躍して、留学して、他の大きな活動でリーダーシップを取って、といった輝かしいキャリアをたどる人もよく見かけます。その観点からはディベート界隈にいつまでもいつまでも残るのは将来のキャリア面でおそらく最適な選択肢ではないのでしょう。まあ別にキャリアのためにやっているわけではないからいいのですが。でもやっぱりそういう決して休まないウサギのような人を見ると、休んでばかりのカメである自分はいったいどうやって生きたらいいのだろうと悩むことはよくあります。一つのことを続けられるlongevityが強みであると信じたくても、それが実を結んで最後に結果が出せていないなら意味がありません。でもともかく、それが自分であって、受け入れるしかないのでしょう。配られた手札は変えられないから、どんなに周回遅れであろうとも身の丈にあった戦略を立てて闘うしかないはずです。トップにはなれないことを受け入れて、二流三流として生きるか、あるいは競争の少ない場所を探すか、複数のスキルの掛けあわせで勝負するか。あるいはこれらの組み合わせか、そんなことに考えを巡らせます。
それでも少なくとも逃げなかったことについてはちょっとだけ胸を張ってもいいのかなと思ってみたりもします。ディベートのためにいろいろなことを犠牲にして五年間本気でやってきたから、これまでのぱっとしない実績が私にできるすべてです。すべてを賭したからもう何も言い訳はできないし、したくもありません。他の人にはとてもかなわないけれど、できない自分なりに去年や一昨年よりも進歩していることは感じられたし、この五年間に決して満足はしてないけれど納得はしています。ちなみにこれは引退宣言ではありませんので誤解なきよう(笑)。以下に引用する三年前の自らの言葉に背かないでいられたかなとうれしくなるべきなのか、そのlogosに呪縛されていたと恐れるべきなのかはわかりません。
「でももっと本音を言えば、逃げることはあまりに甘いと思うからです。もちろんいろいろ忙しいことはあるでしょう。勉強や他の活動などなど。バランスが必要なことは間違いありません。大会にたくさん出るだけが価値ではありません。私もうまくできているわけではないし偉そうなことは言えません。器用にいろいろなことをこなしている人は尊敬に値します。あるいはどこかできっぱりと切り替えるべきタイミングもあるでしょう。……でも、そう言って逃げていませんか。自らの限界を見たくないから、本気でぶつかったらもう何も言い訳できないから、だから『他のことと両立したい』とか『ディベートにそこまで本気ではない』とか言うのではないですか。痛みのない優しい世界に逃げているのではないですか。そうやって見たくないものから目をそらす精神性が私は嫌いです。」
もうひとつ思うことはやはり英語についてです。五年もやってきてまだ英語の話をするのはかっこわるいことは承知ですが、それでもやっぱり私にとっては大きな壁だったし、いまでも壁であり続けています。たとえTOEFLで世間的には高めの点数を取っても、何一つ十分には感じないし、たとえこれから英語圏に移住したとしても一生十分に感じることはないのでしょう。別にどうしても困って生活ができないほどではないにせよ、様々な場面で苦労は絶えないことでしょう。これもまあ、変えられないもの変えられないから、自分なりにもがくしか仕方がありません。もっとも、たとえば複数人での会話において存在が薄くなってしまうことは日本語で話していても時折経験することなので、言語以前にパーソナリティや振る舞いの問題もあるのかもしれませんが。ただまあやはり英語ディベートは文脈や行動が伴う日常的なコミュニケーションと比べても、あるいはスライドや資料を使えるアカデミックなプレゼンテーションなどと比べても純粋に言語的な表現力で勝負しなければならない面が強いですから、ここで十分に苦労しておけば他では相対的に苦労する度合いが小さいだろうとは感じるところです。
英語の話をしたら、最後に国際大会の中でも特にWUDCで顕著な要素である、言語や人種によるバイアスや序列化についても、見なかったふりをするわけにはいきません。可視化されづらいものなのでどの程度問題があるか明らかでないことは事実です。ただ、少なくとも問題がないとは言えないことは確かでしょう。他の国際交流的なイベントの類よりも競争面が強調されるからこそ、公平性を担保する努力がなされているとはいえど参加者の全員がそれを十分に共有しているとは言えないし、あるいは意識しないところでバイアスがかかることは否めません。これが交流重視の世界の人々と仲良くしましょうみたいなイベントだったらそもそも仲良くしたいモチベーションで参加するわけですが、この大会に参加するモチベーションは必ずしもそうではないわけです。だから言語、大学、文化、人種、民族、技量、そういったものの交差点でヒエラルキーができて、残念ながら日本人はその底辺に位置します。そこでもがくのは苦しいものですが、きっとこれが世界で戦っていくということの意味するところなのでしょう。とはいえ、やはりWUDCはいい意味で特別な大会でもあります。世界というのは一味違う。レベルは変わらないAustralsよりもお祭り感が強くて好きです。それに、ここでしか会えないたくさんのいい人たちと出会えることもまた揺るがない事実です。また面白いのはWUDCに参加するとアジア人、特に北東アジア人としてのアイデンティティと連帯感が非常に高まることです。国内の大会では大学単位でまとまっているのがNEAOなどに行くと大学をまたいで国単位でまとまる現象の延長で、WUDCでは中韓などの人たちが身内の感覚になります。言語は違えどお互いの境遇が重なるので仲間意識が芽生えるのでしょう。脇道にそれましたが、ともかくディベートをして人生の貴重な時間を費やしているなら、せっかくだからぜひWUDCには行ってみたらいいと思います。行くと行かないとではディベートが経験としてまったく違うものになるし、行かないともったいないと正直に思います。表面的な内容にとどまってしまいましたが、このあたりで締めたいと思います。
先輩はTokyo Bのブレイクを自分のように喜んでいられたんですね…!!!いつも本当にありがとうございます(●´ω`●)! |
海外大会に行くと大学を超えた日本、北東アジアでの結束が強まるっていう不思議な現象、すごいわかります。ナショナリズム的な。興味深い。 |
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