一年を振り返る ~戸塚物語~

たくさんの優秀な人や天才に遭遇し、完膚なきまでに圧倒されることがありました。
かしその一方で、愚かなことにも、そういった人たちを品定めし、あるいは欠点を探し、自分の方が明らかに劣っているのに、無理に比較することで見栄を張ろうとする自分がいました。
でも、何事もこの勘違いから始まるのだと思います。勘違いが自分のゴールを定めかつ更新し、それに満たない時や他人に劣ると感じた時にいかに『この野郎』と思って頑張れるのか。その点が何よりも大事なのかもしれません。

そんな勘違い野郎の今年一年を大雑把に振り返りましょう。
 
UTDSの努力の天才、戸塚の一年を振り返ります
勿論、ディベートサークルのブログですので、内容としてはディベート中心のものになります。別の側面で振り返るのは個人的に飲み会でしましょう。
 
さて、今年一年ということで1月から参りましょう。ディベート部に所属が定まってきた自分からすれば、ある程度生活のリズムがディベートに浸っていくころです。しかしこのころから、自分はある意味不安を抱えていました。昨年の段階ではある程度勢いで他を圧倒することで満足心を得ていた自分ですが、徐々にそのままでは相手の議論に打ち勝つことができなくなっていきます。普段の練習や大会など、思いのほか友人に敗れることが多かったです。こんなはずではなかったと感じていたわけですが、おそらく勢いだけの中身のない自分がいかにだめなのかということを気づくべきだったのでしょう。あるいはすでに気づいていたのかもしれません。しかし自分はそれを表に出すことは恐く、コンチクショーと思いながらもどこか他人のせいにしてしまったりしていました。しかし、やはり自分には非があることは薄々感づいていたため、ひたすら練習に取り組みました。勿論批判的な姿勢は変えません。ただ、勝てない状況は長らく続き、相手が言っていることは大したことないのになあと勘違いしながらも、それをディベートの間に上手く言語化することが出来ず、苦しんでいました。
 
ICUTでの一枚。色々課題にぶち当たる。


さて、そういった悲劇的な状況は4月まで続きます。

ここに少なからず潤滑油を注いでくれたのはfreshmanの登場でした。彼らが入部してきたことによって、普段の練習会ではジャッジをせざるを得なくなります。また、ディベートを一通り見た後に感想を述べるわけでありますが、自分は己の英語力向上のためを思って、一年生には申し訳ないですが、基本的に全てのReason for Decision を英語でやりました。ただ、それが功を奏したのか、ある程度わかりやすく他人に伝えなければ(特に誰にでもわかるようにできなければいけないので)と思い、そのことを意識して説明する中で、他人にどのように説明することが最も説得的なのかということを、相手の顔色を伺いながら(スピーチのように一方的な話ではなく)することを徐々に会得していきました。また、その後に実際にどのような話が言えたのか、あるいはどのような形でプレゼンすることがわかりやすいのかということを一対一あるいは個別にレクチャーする中で、自分が持っていた知識を相対的にとらえ、かつ一般的にまとめることができ、いくつもの型が身についていったと思います。

4月の頃の一枚。戸塚のレクチャーにより、部のレベルの底上げが成された。
 
そして、彼らの存在は自分のパフォーマンスにも影響してきて、ようは一年生が見ているわけだから、彼らが思いつかないような話をしてやろう、彼らを感動させてやろう、あるいは彼らの思考を上回らなければならないといった、よくわからない勘違いや義務感にとらわれ、自分のマターとマナーをより精査し、磨いていく作業を行いました。

 そういった行動の中で3学期を通じて、自分が今まで持っていたわだかまりやモヤモヤとした思いがある程度言語化、具象化されていき、結果として今まで努力してきたものを目に見える形でweaponに変えることが出来たのだと思います。
教育はinteractiveであり、決して一方的なものではありません。むしろ自分が自分で気づいたり改善しようと思うことのできる、extrinsic にもintrinsicにも大事なものだと感じました。

夏合宿での一枚。自分なりのディベート論を構築する。
 さて、これである程度土台が出来たわけですが、これまでの中だと、出来上がった土台の材料が基本的には自分が持てるもの(ディベートを通じ自分で得てきたもの)であり、圧倒的外部的な刺激による己の進化には未だ至らないままでした。

そこに対し、ある程度進化(と言っていいのかはわからないが、自分の中では大きな変化だったと思える)の手助けを与えてくれたことが二つあります。

 一つ目は、ディベート神Tim Sonnreichによるラボ。ADIという韓国のワークショップで自分は彼のラボに割り当てられたのですが、基本的に彼は①画期的なディベート観として1st principleというものを教えてくれた(簡単に言うと、思想のぶつかり合いとしてディベートをとらえ、いかに自分がそのアドボカシーになれるのか(好きなことを言うわけではなく)という見方)②今まで蓄積してきた全ての疑問に答えてくれた というあたかもスケールの大きそうな意味を自分に与えてくれて、彼のお蔭でディベートって楽しい競技なんだなということを思い起こし、かつアイディアを数多く吸収することができました。
 
ADI。女性陣の中ででしゃばる戸塚と微妙に見切れる平澤。
 
二つ目は、Akira Kato氏とのteam up。彼は何事にも自分がもちうる全てを用いて対応しようとしていて、そのサイクル化・システム化が上手くできています。簡単に言えば、数学の問題を解く際に自分が今まで習ってきた数式を当てはめてやるように、全ての議題に対してある程度自分がストックしているprincipleの型を埋め込んでいくことで、議論を完成させるのです。1st principleは大枠の思想家の対立としての議論の見方ですが、彼の場合はその一つ落としたレベルの、各論点に対していかに、自分の持っているweaponを応用していくのかという技術が間近で見て特にすばらしいと思いました。この機会を通じることで、Kato氏の思考の仕方を知ることが出来ると共に、各問題へタックルする型を、自分がかつて持っていたもの以上に、より説得的で深いものとしてストックすることができました。

秋Tにて。ナイスコンビでラブラブ。

はい。あとは勘違いの心です。

ある程度材料はそろったと思います(勿論完璧とは言えませんが自分の持てる時間を使った結果このくらいが限度でしょうか)。それをどのくらい磨いていけるのか、精度を上げていけるのかということです。
確かにそもそも材料を得る過程で勘違いの心がないとやってらんないと感じることはあるとは思います。
ただ、仮にしっかりと材料があったとしても、それが結果となって実を結ぶのはそうそう簡単ではありません。

それゆえに、勘違いをしていつか見返してやるという思いを強く持つことで、人は努力をある意味肯定でき、またある種楽しむことができる(辛くても)のだと思います。

自分が今までどれだけ進歩したのかはわかりませんが、こうして好き勝手出来る環境に感謝し、また勘違いした自分を温かく受け入れてくれた友人に感謝し、筆をおきましょう。

最後は彼のお茶目な一枚で締めましょう。
 

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