想い出の中で辿るジェミニ杯 2017 〜大島の感想文〜
小椋という男は前回の更新を以って昇天してしまった。それは、僕が唯一のブログ担として地上に残されたということを意味していた。
小椋のいなくなった部屋はいやに静かで、そこに僕は冷凍庫と同じ種類の寂しさを覚えずにはいられなかった。彼の遺していったものはほとんどなかった。ただ、金属製の菓子の空き箱が、机の上に丁寧に置かれていた。それは机の真ん中に、あたかも定規で位置を測ったかのような正確さで置かれていて、そのことで僕は頭痛を感じないわけにはいかなかった。
僕がその箱を開けると、中には2通の手紙が入っていた。差出人の名は、大島、そして笠川。夏の消印が捺されている。やれやれ、小椋って奴は。自分の受け取った原稿、公開する前に旅立っちまったんだな。全く、とんだ相棒だぜ。
僕は手紙を袂にしまって、小椋の部屋を出た。そうして近くの電話ボックスに入った。生憎、テレフォンカードは切らしていた。10円玉を入れてダイヤルを回す。
「もしもし、大島?ああ、iTVだ。久し振りだな。」
───早速だけど、半年前にお前が提出してくれたジェミニ杯の感想文。掲載させてもらうぜ。
どうも、UTDS2年の大島です。大会終わるごとにブログ担当に書くよう頼まれてましたが、ついに断れ切れなくなり、書くことにしました。(自分ではこれはforced choiceではなくrationalな判断だと思い込んでますよっと。)
小椋のいなくなった部屋はいやに静かで、そこに僕は冷凍庫と同じ種類の寂しさを覚えずにはいられなかった。彼の遺していったものはほとんどなかった。ただ、金属製の菓子の空き箱が、机の上に丁寧に置かれていた。それは机の真ん中に、あたかも定規で位置を測ったかのような正確さで置かれていて、そのことで僕は頭痛を感じないわけにはいかなかった。
僕がその箱を開けると、中には2通の手紙が入っていた。差出人の名は、大島、そして笠川。夏の消印が捺されている。やれやれ、小椋って奴は。自分の受け取った原稿、公開する前に旅立っちまったんだな。全く、とんだ相棒だぜ。
僕は手紙を袂にしまって、小椋の部屋を出た。そうして近くの電話ボックスに入った。生憎、テレフォンカードは切らしていた。10円玉を入れてダイヤルを回す。
「もしもし、大島?ああ、iTVだ。久し振りだな。」
───早速だけど、半年前にお前が提出してくれたジェミニ杯の感想文。掲載させてもらうぜ。
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どうも、UTDS2年の大島です。大会終わるごとにブログ担当に書くよう頼まれてましたが、ついに断れ切れなくなり、書くことにしました。(自分ではこれはforced choiceではなくrationalな判断だと思い込んでますよっと。)
どこまで遡って書くかは考えどころなんですが、Noviceが終わってからの停滞期、年明けから書くことにします。「忙しくて全然ディベート出来ず、モチベはあるのに消化不良や…!」という話をダラダラ書いてるので①、②は別に読み飛ばしてもらってOKです。というか、全体として思いついたことをふらふら書いた文章なので、残念ながらこれを読んでディベートに使える有益な教訓が得られる保証はないですが、at leastここ最近僕がディベート関係で何してたかはちょっと分かるかもしれません。(Burden調整)
Gemini杯の記録からは 大島ピン写真は見つけ出せなかったので 別の大会から引用している、それゆえに Geminiらしくない長袖になっているんだ、と 気づいた君!流石の観察眼だね! 校章を添えてなんとなくカモフラージュしてる、 そのことにまで気づくとは流石 of 流石だね! |
1 年明け~新学期まで
年末年始は平均身長184cmの国、阿蘭陀から送られてくる映像をやべー、はやぇー、聴き取れねー。音質画質悪すぎー、Thessalonikiを見習えー、って心の中で思いながら、毎晩夜更かしして何となく見てました。なんやかんやで、海外ディベータ―のかっこいいスピーチを聞きながら、ディベートモチベが爆上がりしてたんですね。ところが、生憎∬とかシュレディンガー方程式と仲良く対話しなきゃいけないテスト時期で、ほぼ全くスピーチができないままあっという間に1月が終了。2月に入ると、国際交流団体のプログラムに参加して10日間ほど、東京を離れることに…。全然ディベートができないまま、ディべすす1週間ぐらい前になりました。やっとICU練に顔を出してパートナーのまりえとなるしの2人と練習できましたが、練習できたのは2回だけ。ディべすすは結局全然勝てませんでした。ロールも直前に確定させたので、練習量が足りず、チームワークもまだまだでした。
ディべすす翌日から九州へ飛び、藤森照信!槇文彦!磯崎新!とか言いながら建築を見て回った後、東京へ帰還。東京に3日間だけ滞在してUTDSの新歓のビラデザインを完成させたあと、ピザとパスタの国へ逃亡しました。「イヤホン付けてブツブツ言ってる190cmの不審者にはさすがにスリも来ないだろう」と思いながら音源聞きながらイタリアの街を歩き回ったりしましたね。夜になると、UTDSとゼミのビラ・パンフ・立て看デザインの残りを宿で作業したりしてました。
結局、1月~3月はディベすす前の1週間を除くとほとんどディベート出来ずに終わってしまいモチベはあるものの、消化不良を抱えていました。
2 4月~春T
イタリアに1ヶ月ほどいて、日本に帰ってきたのは授業開始前日。テント列もサーオリも終わり、時すでに遅し。自分がデザインしたビラとパンフは配り終わって1枚も実物を貰えませんでした。(ちょっと悲しかった。)
そんなこんなで、UTDSとゼミの新歓でバタバタしながら、柴田とさゆりと春Tでるかーという話になりました。ロールは割とすんなり決まって、Whipをやることになりました。プレパしたりラウンドしたりしてると、柴田を始めとして皆が上手くなってるのを実感しました。3月に俺がのんびりピザ食ってる間にみんながっつり練習しててめっちゃ差が開いてたんだな、ヤバい!ってなりましたとさ。
3人で練習しながら、春TはまあRookie breakはできるだろうし、頑張ればMain breakもできるっしょと舐めてかかってるところがありました。まあ、人生そんな甘くないんですね、はい。春T当日最初の2試合は順調に勝ち進むも3試合目はあのWAD A。Alexさん速いっす、聞き取れない!反論思いつかない!POIでなんて言ってたの?ラウンド中に思考停止してしまい、結果として68点スピーチをたたき出しました…。4試合目のICUの上級生チームとの試合もプラを押しすぎて敗北。スピーカースコアが低すぎて、Rookie breakもできませんでした。(ショックが大きすぎて、柴田家で初日の深夜にチーム3人でけものフレンズ見てました。)
3 春T~Gemini前
そんなこんなで今年入ってから一度もbreakできないままGeminiのチーミングの話が出始めました。希望を出してなんやかんやあったのち、チームが決定。熊井、小林、大島の3人でTokyo Cとしてでることになりました。
(最終的なroleは熊井1st小林2nd大島Whipでした。)
本来東大の2年のこの時期は暇なはずなんですが、僕は理系の必修科目があり、パートナーの2人はフラ語ガチ勢とロシア語ガチ勢で語学だけで週5コマぐらい埋まっていて空きコマ練の予定を合わせるのがなかなか難しかったです。週2~3回のペースでプレパ練+本郷練でちょっとだけラウンドという時期がしばらく続きました。
その後、ある日曜日、JPDU練習会がICUでありました。強豪チームの多いKDS、WADからは1チームも来ていなくて、これは勝たなきゃなと思うも2試合とも惨敗。この頃はロールも確定していなかったため、1stと2ndの分担が上手くいっていかなかったり、principleが必要なラウンドで全くprincipleを立てていなかったり、問題だらけでした。ひえ~、ヤバい、これじゃ勝てない…ってなって、この辺りから空きコマでTokyo Bとのラウンドを増やし始めました。(とはいえ、部室を失ったこともあり、去年のTokyoのチームに比べると少なかったとは思います…。)
パートナー2人とも、他の課題でめっちゃ忙しいのに、なんやかんやちゃんと時間通りに空きコマ練に来て参加してくれたのは、ホントありがたかったです。(某チームや某チームに比べると、遅刻もなく毎週コンスタントに練習を重ねることができてました。)
ラウンドには驚くほど勝てず、連敗記録を更新し続けたままPre-Geminiに突入しました。僕は他サークルの新歓合宿を途中で抜けて参戦。今日はJRだから初乗りかからんやんと思って武蔵境まで行ったら、なんとそこから30分ほどバスがないという悲劇…。幸いにも早めに着いていたので、音源聞きながら武蔵境の駅からICUまで散歩していきました。小林がレジ落ち回避のためにタクシーに大量課金するという事件もありましたが、なんとか4試合乗り切れました。
結果は2勝2敗。
対戦したのはHit-u B(×)→Wad B(〇)→JointA(×)→Joint C(〇)だったはず。
Impactが抜けたり、イラストが不十分だったり、APの説明量が足りていなかったり、どのラウンドも何かしら大事な話が抜けてしまっていて、そこが致命傷となって負けたり、勝ってもイマイチな勝ち方でした。
僕のWhipも思いついた反論をとにかく端から投げるだけになってしまったラウンドもあり、個人のスコアは77.67→76→75→76.5と、あまり安定していませんでした。
Pre-Geminiの翌日はラウンドはせず、Pre-Geminiで貰ったfeedbackをもう一度復習し直しました。(これは結構良かった。)直前1週間、Tokyo Bとのn回目の練習を重ね、ちょっとずつ調整を重ねていきました。
前日はオーソリの先輩方が来るということで、駒場練に出たい気持ちもありましたが、レジ落ち回避のために昼に空きコマ練2ラウンドやって、夜の駒場練は出ずに寝ることにしました。
4 Gemini当日
(3週間ぐらい経ってて記憶が曖昧なところが多いので、ラウンドでどんなマターが出てどんな風にディベートが進んだのかの細かいところは割愛しますm(_ _)m)
そんなこんなでGemini当日、青山学院大学相模原キャンパスという青山でキラキラしてるふりして実は田舎にあるキャンパスに向かいました。駅からORに着くまでに、道案内や会場準備をしているコミの方々に遭遇。(朝早くからお疲れ様でした。)レジにも余裕をもって終了。いよいよGeminiが始まりました。
R1はWAD Cと対戦。ChairがロールされてSlightで勝利。(廊下でめっちゃ長い間待ったのでドキドキしてました。)Panelで入っていたIsao Ayabe先生にもフィードバックを頂いて、「色んな大会で見かける謎のおじさん」から「温和な老紳士」へと印象がアップデート。
さて、お次はR2です。対戦相手はICU A。かの紅葉チャンピオンである2人を擁し、ディベキチ過ぎてGemini待てずに名古屋へ行ってしまうあのチーム!1勝ラウンドで強豪ICU Aと当たるのはちょい渋いな、勝つのちょっと厳しいかもなと思いつつ、ラウンドへ。そこそこのWhipスピーチをしてこれは分からんな…と思ってたらこれまたR1と同様Chairがロールされて0.5ポイント差の超僅差で勝利。ほとんど差がなかったところで、Deputyから出てた3rd Argumentを決め手として取って貰えたようです。(このラウンド、小林のスピーカースコアが高かった。)
ここまで2勝、これは順調にブレイクできるかもなと思いつつ腹減ってたのでORで急いでパンを胃の中へ詰め込む。R3はWAD Aと対戦と発表。またWADでしかもこもさや、くらら、ゆみとーまとSpeaker Prizeの常連たちのチームか…、頑張らんとな…と試合に向かう。こもさや今日は落ち着いてスピーチしてるな~。うわああ、ゆみとーまWhipスピーチ上手いやんとか考えてるうちに、自分のOpp Whipスピーチの番に。割と緊張して吐き気がしてました。Negativeな反論を細かい分析足しながらしてただけで、あんまりOppサイドとしてのPositiveな話を押せてないスピーチだったと思います。結果はunanimousで負け。2勝1敗でバブルに突撃することに…。
さて、春Tが終わってから毎週毎週続けてきた練習が実るかどうか、ブレイクを掛けた大一番。これは絶対に負けられない試合、その対戦相手は…
ICU A!!
ぐおおおおお、またかよおおお、R2で当たったし…、もうちょい関西勢とかとも試合したかったし…、さっきのラウンド手強かったし…、まじかよ…。と思いつつmotion発表へ。
MotionはGov.でTHW
allow strikes by those working in essential state services.に。実は何日か前にほぼ同じmotionをGov.サイドでやってTokyo
Bに負けて色々とフィードバック貰ってました。(昔のGeminiジャッジテストで栗田さんがPMをしてるのがあるんですが、後回しにしていて聞いてなかったのは後悔…。)1回やったし行けそうという話を3人でして、1番にしました。そうしたら、向こうも1番にしていてあれーこれもうちょい冷静にmotion選びするべきだったかな…と一瞬頭をよぎるもそのままプレパに突入…。(実際もうちょい冷静に考えるべきだったと思います。)
プレパで出てきたマターはほぼこの前やった通り。しかし、ラウンドを終えてみると、前2人で分析量が足りてなさそうだったのと、僕が相手のPrincipleを切れなかったのがかなり痛いな…と気がかりなポイントが残ってしまいました。
試合終了後は、なんで2年生の全国大会なのに、WADとICUしか当たらないんだよー、しかもICU Aと2回当たるしー、強かったしー、せっかくの大会だからもっと色んな大学の色んなチームと当たりたかったー、と愚痴ばっかいってダル絡みする面倒くさい奴をやってました。(愚痴ばっかいってあんま生産的な話してませんでした、すいません。)
そして、驚くべきことに、Tokyoの全チームがバブっていたことが判明。全チームとも翌日のbreak announcementを待つことに…。帰り道は熊ちゃんとはぐれて小林は業務用スーパーに吸い込まれていったので(意味深)、Tokyo DやTokyo Eの面々とお喋りしながら帰りました。そして、謎の流れで水野とサシ飯に行くことに…。サイゼで水野とGeminiのこと、UTDS以外に入ってるサークルのこと、将来のことについて熱く語り合いました。(サシ飯って良いね。)疲れて頭がフワフワしながらも、電車から降りるときはきっちり頭を下げて、やっぱり最後のラウンドは勝ててないよな…と思いつつ帰宅。
さて、翌朝、今年n回目のICUに向かいます。吉祥寺でTokyoC 3人で合流。毎回恒例のバス酔いや~と思いつつ富士重工前に着いて、酔いを醒ましながらORの方へ…。
座席を確保して程なくして、break announcementが始まりました。
結果は………
ブレイク落ちでした。
最後のラウンドで当たったICU Aが4位ブレイクで早々に出て、がっかりモードに。Tokyo Bの12位ブレイク、そしてTokyo
Eの15位ブレイクが発表され、なんとTokyo Aが2nd Reserved breakに…。前日からある程度心構えは出来ていたのか、不思議なことに僕としては自分たちのブレイク落ちよりも、Tokyo Aのブレイク落ちの方が驚きなくらいでした。もちろん、落ち込んではいましたが、3winsの中では最高のSpeaker Score、4位ブレイクのICU Aに一度勝てたというのが慰めになりました。ORでは、はしもんGoのbreakに嬉々としている小間さんと石丸さんが眩しかったです。
Tokyo Bは勝ち進んでくれるだろうと信じて、上手いと噂のJoshua
Chenと1位ブレイクKyoto Aのラウンドを見に行きました。Motionはうちのチームが直前の金曜日にやった、THW prohibit the
use of drones in military operations. このラウンドは収穫が多く、大きく2点印象に残りました。1つ目は、イラスト力。Joshua Chenのイラスト力、聞き手を引き込むマナー、半端なかったです。2つ目は、roleを考える上でのGovとOppの非対称性です。チーム内にprizeを取るような際立って上手いspeakerがいるときに、一番うまいSpeakerをどこに配置するかはGovとOppの違いを考えてstrategicにやらなきゃだめだなと感じました。
Master’s round、やはりレベルの高い試合を見れて良かったです。特に、Noviceの頃に本郷練でよくジャッジをして頂いた榎本さんのスピーチと、いつもみつしさん音源を聞いてる時に一緒に聞いていたTakeru Uchiyamaさんのスピーチを生で聞けたのがすごい印象に残っています。
さて、昼食を食べた後、期待通り初戦でしっかり勝ってくれたので、次の試合からTokyo Bを観戦してました。Tokyo Bの試合で見てて印象に残ったのは柴田のWhipです。ラウンド中に貧血?で倒れた銀杏の頃や、緊張でテンパりがちだったNoviceの頃からさらなる成長を遂げ、ラウンド中に余裕をもって準備をし、ゆったりとWhipスピーチをしてました。細かい分析を詰め込んで小さなところに反論してくのではなく、ディベート全体を見ながらの大きな反論や相手のfailureの指摘を中心にしていて、こういうWhipもありだな、上手いな~と思って聞いてました。
結局、Tokyo BはGFで敗れてしまいましたが、Tokyo Cと一緒に空きコマ練を何度もしてくれたTokyo BがGFまで行ってくれて、自分たちがブレイク出来なかった虚しさを抱えながらも少し嬉しかったです。
5 終わってから振り返ってみて
感想の羅列。(真面目なやつ。)
・Novice以来久しぶりに真剣にディベートに打ち込むことができて楽しかった。Asian Styleに大分慣れてきたし、Whipも最初の頃に比べるとやり方が分かってきた。
・改めて自分がprincipleを分かってなかったことが分かり、見直す良い機会になった。
・暇さえあればみつしさん音源を聞く習慣が身に着いた。(流し聞きだけであんまり分析はできてなかったのは要改善。)
・reply超絶苦手マンだったんですが、別にreplyスピーチしてた訳じゃないのにWhipでround全体を見るようになって、replyスピーチでどんな話をしなきゃいけないのかが分かってきた。
・スピーカースコアは77→77→77.67→77、144人中31位。安定してるのは良いけど、もっと良いスピーチができるようになりたい。というか、そろそろbreakしたいです。
・実はうちのチームの順位はTokyo Aの次で19位だと分かった。あと2ptでbreakできていた。悔しい…。
・Tokyo Bは良いチームでした。パートナーの2人ともほんとに忙しいのにきっちり集まって、毎ラウンドきっちり振り返りをして、ラウンドを重ねていくうちに少しづつですが息が合うようになっていったと思います。短いけど充実してた1ヶ月半、楽しかった、組んでくれてありがとう。
・いっつもジャッジしてくれたTokyo Aのみんな、n回ラウンドやったTokyo Bのみんな、本郷練でめっちゃ有用なアドバイス下さった先輩方(特に平本さんのレクチャーとアドバイス良かったです!)、その他相談乗ってくれた皆さんありがとうございました。
6 これから
周りにこの大会を機にディベートから距離を置く人も多くいるけれども、僕はディベートは続けます。理由は沢山あって、言うとreasoningだけで7分スピーチが終わってしまうぐらい長いので言いません。サークル3つとゼミ1つを掛け持ちしているので、全ての時期でフルコミットすることはできませんが、次は夏のQDOに照準を当てて頑張っていきたいと思います。また何かとお世話になると思いますが、皆さんよろしくお願いします。
以上、深夜テンションで書き進めてまいりました。読み直すと、直したいところ、直すべきところを見つけてしまいそうなので、このままブログ担当に提出します。
読んで頂きありがとうございました。書くのめっちゃ時間かかりました。(イラスト力の無さを実感しましたね。)もうしばらく書きたくないです。1年後くらいにまたお会いしましょう。では。
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「公開が遅くなった。本当に──すまない」
「いいさ。でも、何を書いたか忘れちゃったからなぁ」
優しい巨人は、そう言って笑った。
【次回】想い出の中で辿るジェミニ杯 2017 〜笠川の物語〜
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