HKDO感想文
UTDS Blogでも度々登場の田中!! |
Octで敗れた自分がブログに書けることがいくらかあるか分かりませんが、個人的になりすぎない範囲での心情と、後続のディベーターの一助となるかもしれない内容を、自分に出来うる限り書こうと思います。
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「その方法というのは、問題の伝統的な二つの見方を対置させることにある。まず、常識を正当化することによって第一の見方を導入し、次にその正当化を第二の見方を使って崩し、最後に第一のものと第二のものが、いずれも同じように部分的なものであることを示す第三の見方の助けを借りて、どちらにも優位を与えることなく、退けてしまうのである。」
(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』川田順造訳)
直前の大会はAsian BPだった。桑さんに依存していたとはいえ、JPDUトーナメントで初めてsemifinalまで進んだ私は、不安を明瞭な問題意識に具体化出来ないまま、次の大会で結果を出せずにナショナルはコバンザメ以下に違いなかったと謗られることに対する恐怖と重荷だけを心の内にはらみ、北京に向かった。
結果は散々だった。
EFLブレイクには一点足りなかっただけにせよ、二井谷平澤と溝上幸松には大きく点差を付けられていた。彼らがブレイク出来なかったのはメインの枠で扱われたからであり、私がブレイク出来なかったのは圧倒的に実力が足りていなかったからだ。日本人はEFLチームも含め誰もブレイクしなかったが、慰みにはならない。
EFLブレイクには一点足りなかっただけにせよ、二井谷平澤と溝上幸松には大きく点差を付けられていた。彼らがブレイク出来なかったのはメインの枠で扱われたからであり、私がブレイク出来なかったのは圧倒的に実力が足りていなかったからだ。日本人はEFLチームも含め誰もブレイクしなかったが、慰みにはならない。
自分に厳しいご両人 |
正直、日本での練習ではここまで差があると思わなかった。彼らもときどき四位をとり、私たちも概してはうまくいっていないにせよ二回に一回はうまくいく。一つ言えるのは、明らかに、明確な問題意識をもって、それを克服し向上するというプロセスサイクルを欠いていた。
帰ってきてから私は、ディベートへの心構えを変えた。Shengwuのブログを読み直し、向上のためのサイクルを形成出来るよう意識した。自主的にスピーチの機会を増大させるべく、他大学の通常練習会にも参加させて頂いた。すべて今となっては当然のことのように思えるが、ゆえに以前はいかに漫然とディベートを行っていたかが伺える。
大森との練習は、自己に対する訓練になった。大森が理解を示してくれるかどうかが、客観的に証明されうるマターかどうかのメルクマールとして大きく作用した。また、プレパレーションの能率をあげることは、あるいは大森が能率化を求めることは、翻って自己の思考プロセスの能率化に寄与した。
被写体としての才能を持つとは安田談 |
コンテンションが議題による現象の変化に最も忠実であることを前提として、
1、相手が証明出来る明確な害/利益を甘受しても成立するコンテンション
2、或は、相手がはじめに存在する対立軸を証明するのに時間を掛けることを想定して、それを受け入れ、目標を共有し、説明量で真逆の結果を証明すること
このどちらかをコンテンションとした。
プレパは、大森の教えてくれたヴァレリーの方式を採用した。はじめ一分はイシューの想定、次の六分はセットアップ(現象の変化の共有)、次の六分は立論、最後は個々のスピーチを書く時間である。
お疲れ様でした! |
HKDOのときに気をつける項目として、個人的にリストにしていたことは、最終的に、
0.5、モーションによる現象の変化に忠実であること1、 パートナーとの対話
2、ナンバリングの意味の認識
3、ディベートの最中に落ち着くこと
4、反論の重層化
の四つである。
結果として、八点で迎えたバブルで一位をとり、もっとも耐えがたいだろうと思われた、東大のうち唯一のブレイク落ちを避けられた。いまだ非常に未熟なものの、一つの礎石として作用することは間違いない。
非常に大げさだが、UTDSに入りこれまで自分が関わった全ての人に、そして殊に大森に感謝をしたい。ありがとう。
田中君行方不明 |
幸松・溝上時々Toshiさん |
凸凹コンビ? |
ゆるふわ二井谷・高井コンビ |
悪企みをする顔である。 |
この写真をみて僕が近藤のファンになったのは言うまでもない |
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